本地域も由布院地区に続く地溝の南縁部であり、堀田・朝見川断層の北落ち断層崖より南側の山地には、堀田から朝見にかけては、プロピライト化の進んだ鮮新世の輝石安山岩質の観海寺安山岩と中期更新世の小鹿山火山をつくる輝石安山岩質の乙原溶岩が分布する。乙原溶岩の年代は46万年BP(星住・鎌田,1987)である。朝見から浜脇にかけては、同じく中期更新世の砂礫シルト・軽石砂の互層から成る浜脇層と由布川火砕流堆積物が分布する。後者の年代は星住・鎌田(1987)、竹村・檀原(1993)、竹村ほか(1995)によると60万年〜68万年BPである。これらの地層の内、乙原溶岩のみが、開析されているものの、一部に溶岩の堆積面を残している。
堀田地区の西方には鶴見岳山頂から流下した溶岩が舌状の溶岩流の地形を残して分布している。この溶岩の年代について、小林(1984)は、西方の鳥居方面に流下した溶岩流と同様に8世紀に流下したと考えている。地形的にみると溶岩堤防等の微地形が明瞭な鳥居方面溶岩に比べて開析が進んでいるようにみえるが、今回の調査では、溶岩末端の火砕岩の下位の土石流堆積物の14C年代(AMS法)として、1,610年BPという値が得られ、小林(1984)の見解を支持する結果となった。
断層崖の北方には、広範囲にいわゆる別府扇状地が広がっている。竹村(1993)に示された扇状地礫層の基底のコンター図をみると、礫層の厚さは、最大300m以上である。断層崖付近では段丘化している。この扇状地の形成時代について、千田(1995)は、段丘化した扇状地礫層中からK−Ah火山灰を報告しており、竹村(1993)は、海岸平野部の旧別府市役所でのボーリング掘削資料の深度11.1〜11.6mの「シラス」がK−Ah火山灰であることを報告している。一方、小林(1984)は、考古遺跡の分布から最新の扇状地礫層は鶴見岳の8世紀の溶岩流出によって供給されたと考えている。また、池田(1979)は、堀田・朝見川断層の活動により継続して北側が沈降し、扇状地が形成され続けていると指摘している。いずれの見解によっても、この扇状地の形成は、現在を含むかなり新しい時代まで続いてきていると考えられる。