調査地域付近の地震活動については、気象庁のほか、京都大学地球熱学研究施設により観測が行われている。これらの機関による最近の地震活動についての主な観測結果を図3−1−13−1、図3−1−13−2、図3−1−13−3にまとめた。
これらの結果をみると、調査範囲内では、由布院盆地内と別府湾南岸付近に地震が集中しており、この地域の地殻構造運動が活発であることが示されている。また、別府周辺についてみると、京都大学の観測結果では、震源のほとんどが震度16qより浅く、特に鶴見岳一帯で浅い。
活断層との関係でみると、京都大学の観測データでは、由布院断層およびその延長部の鶴見岳直下で常時小さな地震が生じているようである。また、気象庁の観測データでは、1989年〜1990年に鹿鳴越断層の直下で継続して地震が生じている。この時の地震のメカニズム解は東西方向の右横ずれの断層運動となっており、地形的に推定される本地域の活断層群の変位センスと調和的であるとされている。
A大分県中部地震(1975)の資料
図3−1−14に大分県中部地震(1975年4月21日)に関する資料をまとめた。この地震は、今回の調査範囲と同じく活断層の密集した地域で発生した。この地震では、活断層が変位した確実な証拠は見出されなかったが、震源付近で左横ずれを示唆する地表変位がみられたと報告されている(村井・松田,1975)。
B調査地域付近の歴史地震の資料
過去の被害地震について図3−1−15にまとめた。
ここに示した歴史地震の内、慶長元年(1596年)の豊後地震が最も規模・被害が大きく、いわゆる瓜生島の水没が生じたとされている。この地域については、前述((4)項)したように、別府湾中央断層の活動によるという考えがある(千田,1998など)。また、このとき由布院盆地南東縁で「津江岩屑なだれ」(星住ほか,1988)が発生したとされている(東京大学地震研究所,1982)。
元禄十六年(1703年)の油布院筋の地震については、由布院断層の活動との関連が考えられる。
C遺跡発掘記録
・既往発掘記録の探索
調査地域および周辺の遺跡発掘記録から過去の地震活動の痕跡抽出を試みた。結果は、遺跡分布図及び一覧表として、別冊のデータ集に示したが、既往の遺跡発掘記録に載せられている写真やスケッチからは、地震活動の痕跡は抽出できなかった。
・最近の情報
最近、調査地域北方の八坂川の沖積低地上の遺跡(八坂本庄遺跡)から、慶長豊後地震の痕跡の可能性のある地盤の液状化跡が発見された(図3−1−14, 図3−1−15)。また、大分市内の大友館跡からの同時期の液状化跡の可能性のある現象が報告されている。
このようにみると、現在活発な地震活動が生じている地域および過去に被害地震を生じた地域は、地溝の北縁と南縁に限られているようである。また、地溝北縁でも東部地域(日出付近)が活動が活発であり、西部地域では殆ど活動がみられない。