平山の山頂から北へ延びる尾根を変位させている付近では、落ち側に凹地が形成されている。熊の墓付近の山麓扇状地面上には変位地形は認められないが、崩平山西側の山麓扇状地面上に南東落ちの逆向き断層崖がみられる。しかしながら、熊の墓断層に比べると、崖はかなり開析されている。トレンチ地点は、扇状地面上の逆向き崖と南西側の鞍部との間に南北方向に延びる沖積低地の部分に選定した(図4−14、図4−15)。
<トレンチ調査結果>
地質構成
トレンチで確認された地層は、下位から順に、AT火山灰ガラス濃集部を挟むローム層、K−Ah火山灰を挟む黒ボク土層である。黒ボク土質の最上部は砂層を挟み、再堆積した水成堆積物と推定される。地権者からの聞き込みによれば、この層は、近年の降雨の際に上流側の表土が流失して堆積したものということである。下位の再堆積していない部分との境界は、肉眼では確認が困難であった。
トレンチBの中央部では、黒ボク土層が全体に薄く、地表から深度1.5m以内にローム層の上面が出現する。この上面は、トレンチの北部及び南部に向かって次第に高度を下げ、北半部と南端部では、黒ボク土層(再堆積した部分)のみが厚く出現する。この部分では、黒ボク土質層は、やや締まっている。掘削面から多量の湧水が生じたために、これより深い地層の掘削は困難であった。
地質構造
ローム層上面高度が下がる位置では、上位のK−Ah火山灰層が欠如している。また、掘削面の観察では、この付近に断層や亀裂は確認できない。これより、このような地質分布は、ローム層とそれに続くK−Ah火山灰を挟む黒ボク土層の堆積途中に、トレンチの北部と南部では浸食作用が優勢であったことにより生じたものと推定される。
AトレンチA (図4−17−1、図4−17−2、図4−17−3)
トレンチBで明瞭な変位を有する断層が確認できなかったため、地点を変更してトレンチAを掘削した。
地質構成
トレンチAの地質構成は、基本的にトレンチBと同様であるが、K−Ah火山灰層の下位が、より明瞭に層区分できる。すなわち、下位から順に、礫まじりローム層、黄色を帯びた細礫まじりのローム層(AT火山灰由来のガラスを多く含む)、褐灰色の火山灰質層をはさむ有機質の赤紫色シルト、K−Ah火山灰、黒ボク土層である。トレンチの北半部では、これらが一連に累重しているが、南半部では、最上部の黒ボク土層の下限が、高度を下げ、それにつれて下位の層が浸食されている。トレンチ南端部では、ローム層の最上部(AT火山灰由来のガラスを含む部分)まで浸食され、その凹地に最上部の黒ボク土層との間に礫層と黒ボク土が再堆積した層が出現する。トレンチ掘削面に出現した凹地の形態からみて、この凹地は地形的なリニアメントの方向に平行して延びていると推定される。
地質構造
本トレンチでも、ローム層上部の地層(AT火山灰層準)より新しい地層に変位を与えている断層は確認できなかった。トレンチ南端の凹地付近にも断層や亀裂を見出すことは出来ず、リニアメントに平行な凹地が断層運動に起因して形成された証拠は見出されない。
〇崩平山2−北方断層のまとめ
いずれのトレンチでも、AT火山灰以降の層準に明瞭な変位を与えている断層は確認できなかった。他地点の調査結果と同様に考えると、この断層では、AT火山灰層準以後に、地層に明瞭な変位を与えるような断層活動は生じていないと判断される。
扇状地面上にみられる南落ちの”低断層崖”は、古い断層変位地形が残存しているものか、別の要因で形成されたものと考えざるをえない(山体崩壊伴う「流れ山」なども考えられなくはないが、周辺にはそのような地形は確認できない)。
表4 トレンチで確認された地層の層相と年代(崩平山2−北方断層)