これらの火山灰に含まれる火山ガラスなどの分析結果を図2−2−5、図2−2−6、図2−2−7、図2−2−8に整理した。さらに、K−Ah火山灰以後の新しい火山灰については、今回の調査で得られた14C年代測定結果をもとに、新しい火山灰層について噴出年代を推定し、結果を表2−2−5にまとめた。
以下、地表露頭での産出状況を中心に各火山灰について記載する。主要な火山灰は、地表露頭で確認できるが、ボーリングコアでは、露頭では確認しにくい火山灰も見出せたので、特にその点について記述する。なお、火山灰層の中には、既往文献で記載された火山灰層との対比が、かなり確実なものもあるが、年代については、暦年代への換算も含めて、かなり変更している。したがって、既往文献との混乱を避けるために、既往文献と同じ年代値を採用している「K−Ah火山灰」、「AT火山灰」を除き、本報告書では、別の名称を用いた。本報告書における以下のトレンチ、ボーリング等の記述においても、この名称で統一する。
a.九重B火山灰層
・分布
千町無田付近から崩平山、野稲岳にかけての地域で確認した。万年山地域や湯布院町以東では、確認できていない。
確認地点:高柳断層、須久保撓曲、崩平山2,6,7断層、扇山断層、熊の墓断層、水分断層のトレンチや露頭など、
・層位と露頭での産出状況(図2−2−3参照)
調査地の地表を覆う黒ボク土層に挟まれ、地表面からかなり浅い位置に出現する。この火山灰層の上位には、目立った火山灰層は、確認できない。地表面からの深度は、最大でも1m以内である。層厚は、最大でも15cm以下で、灰色〜灰褐色を呈する。シルト質でかなり締まった(半固結状)部分と砂質でやや緩い部分がある。
・分析結果(表2−2−5参照)
火山ガラスの含有量はかなり少ない。ガラスの屈折率は、1.495〜1.564と分布レンジが、かなり広いが、黒ボク土層中で採取した試料では、1.53未満の値には、時代の古い火山灰からのコンタミの影響があると考えられる。このような値を除いても、1.53以上〜1.564という高い屈折率値を示すことが特徴である。ガラスの形態は、多孔質ないし不規則型が多い。鉱物組成では、カンラン石を特徴的に含む。黒雲母も含まれることからみて、複数の火山噴出物の混在も考えられる。
・年代と対比(表2−2−5参照)
露頭で明瞭に確認できる地域が、九重火山の近傍に限定されていることからみて、九重火山由来の噴出物である可能性が高いと考えられる。
熊の墓断層と水分断層のトレンチで、本層の上、下位の黒ボク土層の年代を測定したところ、上位からは、Cal BP1,280〜1,300と1,420、下位からは、Cal BP2,360と2,720という値が得られた。また、後述するように、高柳断層トレンチで、この層が変形して乗り上げた黒ボク土の年代は、Cal BP750より若く、須久保撓曲でこの層に生じたクラックに落ち込んだ黒ボク土の年代も、Cal BP960より若い。以上の年代データからみて、本層の年代は、かなり若く、両トレンチで本層の上位層から得られている年代に近いものと推定される。したがって、本報告書では、本火山灰層の年代を、暦年代で1,500年前頃と判断する。
この時代に噴出した九重火山の噴出物には、米窪火口の最新活動で噴出した玄武岩質降下スコリア(KB;2,000年前)と、黒岳溶岩に伴う火砕流堆積物(1,700年前;いずれも、conventional age;鎌田(1997))がある。前者は、かんらん石を含む。後者には黒雲母は含まれるが、かんらん石は含まれない。本層の岩石学的特徴は、前者に近いが、年代的には、むしろ後者に近い(この年代付近では、conventional ageに対して、暦年代が若くなる)。黒岳溶岩に伴う火砕流堆積物に伴う火山灰に、より古い米窪玄武岩質スコリアがコンタミした可能性も考えられる。
b.橙色スコリア層
・分布
長者原、千町無田付近から崩平山北側にかけての地域で確認した。万年山地域や湯布院町以東では、確認できていない。九重火山から離れるにつれて、層厚が薄く、かつ、露頭での単位断得面積あたりに含まれるスコリアの量や粒径が減少する(図2− )。
確認地点:高柳断層、須久保撓曲、崩平山2,6,7断層、熊の墓断層のトレンチや露頭など、
調査地の地表を覆う黒ボク土層中では、九重B火山灰層と九重A火山灰層に挟まれた層位に出現する。黒ボク土層に挟まれる場合の地表面からの深度は、2m以内である。
千町無田付近では、橙色を呈する径1cm以下のスコリアが、黒ボク土層中に密集して、厚さ15cm以下の層を構成している。スコリア周辺の黒ボク土は褐色を帯び、周辺に比べて締まっている。
千町無田の沖積低地下で、水成堆積物に挟まれて出現する場合には、粒子の色は、白色ないし灰白色で、軽石に類似した産状を示す。
・分析結果(図2−2−6参照)
火山ガラスの含有量はかなり多い。黒ボク土層中では、新、旧の火山灰(特にK−Ah火
山灰や九重B火山灰)のコンタミがあるものの、火山ガラスの屈折率分布は、1.522〜1.528の間に集中しており、明瞭なピークを成している。ガラスの形態は、主に多孔質型である。鉱物組成では、火山ガラスが付着した斜方輝石を含むことが特徴的である。
・年代と対比(表2−2−5参照)
露頭で明瞭に確認できる地域が、九重火山の近傍に限定されており、かつ北方に向って、層厚、粒径が減少していることからみて、九重火山由来の噴出物と推定される。
熊の墓断層と高柳断層のトレンチで、本層の上、中、下位の黒ボク土層の年代を測定したところ、上位からは、暦年代でCal BP4,880と4,440(conventional age で4,370、3,910y.B.P.)、中、下位からは、暦年代でCal BP5,620、5,600、5,310(conventional age で4,910、4,850、4,590y.B.P.)という値が得られた。これらの年代データからみて、本層の年代は、暦年代で5,000年前頃と判断される。
本層の性状は、九重火山の段原火口から段原溶岩に伴って噴出した段原降下スコリアとほぼ一致し、これに対比できると考えられる。なお、このスコリア層の年代は、鎌田(1997)では、約4,000年前とされており、暦年代とconventional ageとの相違を考慮しても、今回採用した値のほうが古い。鎌田(1997)に示された黒ボク土のconventional ageは、スコリア層の下位で4,300、4,619、4,620y.B.P.、上位で3,500、3,570y.B.P.である。今回得られた下位層の年代値は、鎌田(1997)と同じかやや古く、上位層の年代は、今回の方が古い。相互のデータに矛盾はないが、得られた年代値のこのような違いがスコリア層の年代値評価に反映した結果となった。
c.九重A火山灰層
・分布
長者原、千町無田付近から崩平山南〜西側、扇山にかけての地域で確認した。万年山地域や湯布院町以東では確認できていない。九重火山から離れるにつれて、層厚が薄くなり、野稲岳付近では肉眼では確認できない。
確認地点:高柳断層、須久保撓曲、崩平山2,6,7断層、扇山断層のトレンチや露頭
・層位と露頭での産出状況(図2−2−7参照)
調査地の地表を覆う黒ボク土層中では、橙色スコリア層とK−Ah火山灰層に挟まれた層位に出現する。黒ボク土層に挟まれる場合の地表面からの深度は、3m以内である。
千町無田付近では、緑灰色〜灰色を呈し、細粒シルト質でかなり締まっている(半固結状)。
・分析結果(図2−2−7参照)
火山ガラスの含有量はかなり少なく、スコリアを特徴的に含む。黒ボク土層中では、K−Ah火山灰のコンタミの影響があるが、これを除いても、ガラスの屈折率分布は、1.525〜1.564の広い範囲に分散している。珪長質ガラスの形態は、多孔質〜不規則型である。
・年代と対比(表2−2−5参照)
露頭で明瞭に確認できる地域が、九重火山の近傍に限定されており、かつ北方に向って、層厚が減少していることからみて、九重火山由来の噴出物と推定される。
高柳断層のトレンチで、本層の上、下位の黒ボク土層の年代を測定したところ、上位からは、暦年代でCal BP5,470(conventional ageで4,720y.B.P.)、下位からは、暦年代でCal BP5,920(conventional ageで5,170y.B.P.)という値が得られた。これらの年代データからみて、本層の年代は、暦年代で5,700年前頃と判断される。
本層の層位は、九重火山の大船山北溶岩に伴って噴出したとされる(Kamata and Kobayashi,1997)、A1降下火山灰(鎌田・小林,1992)と一致し、これに対比できる。なお、この火山灰層の年代は、鎌田(1997)では、conventional ageで約5,000年前とされており、鎌田(1997)に示された黒ボク土のconventional ageは、火山灰層の上位で4,300、4,619、4,620y.B.P.、下位で5,280、5,350y.B.P.である。これらの年代は、上に示した今回得られた年代値とほぼ同じであり、今回の年代推定と鎌田(1997)との違いは、暦年代とconventional ageの相違のみである。
なお、千町無田の沖積低地で掘進したボーリングでは、K−Ah火山灰層の上位、橙色スコリア層の下位に、共通して、スコリア質の「黒色砂層」が出現する。この層には多量のスコリアが含まれ、含まれる火山ガラスの屈折率の最頻値は、1.530〜1.551であり、九重A火山灰層と同様である。また、この地層の構成物を供給したと考えられる鳴子川は、大船山付近を源流としている。このように、層位、性状が類似するものの、この層の堆積年代は、Cal BP6,400−6,700であり、九重A火山灰よりもやや古い。この「黒色砂層」は、従来記載されていない火山噴出物である可能性がある。
d.K−Ah(鬼界アカホヤ)火山灰層
・分布
調査地域全域で確認できる。
・層位と露頭での産出状況
他の火山灰との関係は、図2−2−2等に示した。調査地の地表を覆う黒ボク土層中では、地表面からおおむね3m以内の深度に出現する。かなり目立つ黄色ないしやや赤色を帯びた黄色を呈する、やや締まった極細粒砂状の火山灰である。層厚は、局所的な凹部を除けば、最大でも20cm以下である。
・分析結果(巻末資料中の分析データ参照)
黒ボク土層中で上記のような産状を示す場合は、ほぼ純層に近い状態であり、薄いバブルウォール型の透明ないじ色付きのガラスを多量に含む。ガラスの屈折率分布は、1.510〜1.518のごく狭い範囲に集中し、頻度分布図で明瞭なピークを形成する。
・年代と対比
この火山灰については、既往の研究で多くの14C年代値が得られており、木材の年輪とのクロスチェックもなされている。その総括として、町田・新井(2003)では、暦年代で7,300年前という値が示されている。従前の大分県の調査においても、この火山灰の年代の検討を行なっており、7,300年前という年代にほぼ一致する結果が得られている(平成12年度報告書参照)。今回、須久保撓曲での群列ボーリング試料の分析で得られた14C年代値も、7,300年前という年代値を支持する。
e.AT(姶良Tn)火山灰層
・分布
調査地域全域で確認できる。
・層位と露頭での産出状況(図2−2−2参照)
この火山灰由来のガラスを多量に含む部分が、黒ボク土下位の褐色ローム層の最上部に出現する。明橙色を呈し、砂質であることで、下位のローム層から識別される。まれに直径5mm以下の軽石を含むことがある。層厚は、局所的な凹部を除けば、最大でも50cm以下である。ただし、これは、堆積後に火山ガラスがかなり周辺に分散した結果と考えられる。下位に、旧表土と推定される、層厚20cm以下の暗緑褐色の有機質土がみられることがある。
・分析結果(巻末資料中の分析データ参照)
バブルウォール型の透明なガラスを多量に含む。ガラスの表面が、曇りガラス状になっていることが多い。ガラスの屈折率分布は、1.497〜1.502付近のごく狭い範囲に集中し、頻度分布図で明瞭なピークを形成する。ただし、後述する飯田火砕流堆積物を含め、九重火山由来の火山灰でも、その中に含まれる火山ガラスの屈折率が、ほぼ同様の値を示すことが多い。したがって、火山灰の対比にあたっては、分析値のみでなく、ガラスの形態や出現する層位を含めて総合的に判断した。
・年代と対比
この火山灰については、独自の年代データは得ていない。町田・新井(2003)にしたがい、2.6万〜2.9万前という値を採用する。
f.飯田火砕流堆積物・Kj−P1(九重第1降下軽石)層
・分布
Kj−P1は、飯田火砕流堆積物の噴出に先行した砂質火山灰およびプリニアン降下軽石と考えられており(鎌田,1997ほか)、本報告書でもこの見解に従う。
飯田火砕流堆積物の地表における分布は、九重火山の北麓から北方に限定されていいる。千町無田付近では、低地の南方までであり、地蔵原付近でも、天ヶ谷貯水池北側の地蔵原断層の断層崖に区切られて、その北側には分布しない。両地域の間では、鳴子川の谷筋に沿って、玖珠川の近傍まで流下している。Kj−P1は、調査地のほぼ全域で地表からごく浅い深度に出現する。
・層位と露頭での産出状況(図2−2−2参照)
飯田火砕流堆積物は、発泡のよい含角閃石石英安山岩質の軽石を多量に含む、白〜灰色を呈する堆積物である。調査地域内では、ほとんど非溶結であり、大規模な露頭では、軽石や岩片の配列がみられる。基質は、同質のガラス質火山灰〜火山砂で、含まれる軽石の直径は、おおむね数cm以下である。黒子川左岸の露頭では、角閃石安山岩の巨礫〜大礫を多量に含む。千町無田南縁付近では、現河床に対して、数m〜10m程度高い段丘面を構成している。
Kj−P1は、ローム層中では、Aso−4火砕流(鳥栖オレンジ火砕流)堆積物とAT火山灰層に挟まれて出現する。出現位置は、両層の中央付近か、それよりやや上である(図2−2−2参照)。下部の青灰色火山砂と上部の黄橙色軽石質火山灰から成る。層厚は、最大でも30cm以下である。Kamata and Mimura(1983)、鎌田(1997)は、下部を飯田火砕流ステージの最初に噴出した火山灰、上部をそれに続くプリニアン降下軽石層と考えている。
・分析結果(図2−2−8参照)
含まれる火山ガラスの屈折率の分布は、火砕流堆積物、Kj−P1共に、1.495−1.501に近に明瞭なピークを有する。形態は、多孔質型がかなり多い。
・年代と対比
既往文献では、飯田火砕流堆積物の年代について、次表のように様々な年代が出されている。町田・新井(2003)は、鎌田ほか(1997)のデータをもとに、飯田火砕流堆積物の年代を7万〜8万年前、奥野ほか(1997)のデータをもとに、Kj−P1の年代を4万〜5万年前としている。
しかしながら、両層の関係を考えると、この見解は不都合である。一方、今回の調査では、後述するように、Kj−P1及び飯田火砕流の変位基準面としての意義はかなり大きい。そこで、今回の調査では、あらためて、飯田火砕流の年代値を得ることを試みた。方法としては、鎌田ほか(1997)と同じくフィッション・トラック法を用いたが、測定粒子の数を約700と、大幅に増やして計測した。使用した試料は、ボーリングb−4孔の深度38−39mの部分である。この試料については、別途火山ガラスの分析も行い、露頭でみられる飯田火砕流堆積物に対比できることを確認している。結果は、次のとおりである。
既往文献に示された年代値 表2−0
すなわち、約4.8万年前という結果となった。町田・新井(2003)にしたがって、Aso−4火砕流の年代を8.5万〜9万年前、AT火山灰の年代を2.6万〜2.9万年前とすると、Kj−P1は、両層の層位の中央からやや上位に出現するので、その年代として、5.5万年〜6万年ないしそれよりやや若い年代が想定されるが、今回得られた値は、この想定値に合致している。また、今回の値は、既往の年代値と比べると、鎌田ほか(1997)とは、かなり異なるが、奥野ほか(1997)の年代値とは、矛盾していない。同じ手法ではあるが、結晶数などの条件を考慮すると、鎌田ほか(1997)よりデータの精度は高いと考えてよい。以上の点をふまえ、以後、本報告では、飯田火砕流堆積物とKj−P1の年代として、この年代値を採用する。