付近では、23万年前、49万年前という値が得られている。寺床付近の若い年代を示す岩体については、火山体本体との関係が明確ではなく、49万年前という年代については、原著で誤差が大きいという問題が指摘されている。また、寺床付近に分布する火砕流堆積物については、50万年前、56万年前というやや古い年代値が得られているが、これらについても、誤差がかなり大きい。よって、今回の検討では、問題のある値を除いた、野稲岳本体での年代値(42万年前)を火山体の年代として採用する。
・鹿伏岳:25万〜53万年前という幅のある年代値が得られており、年代の評価は難しい。NEDO(1990)の地質図では、野稲岳と一連の岩体とされていること、火山体を変形させている断層があまり明瞭でなく、変位基準面としての意味があまり大きくないこと等を考慮し、今回の検討では、野稲岳と同じ年代を採用しておく。
・崩平山:独立した火山体の形状が明瞭である。34万〜88万年前という幅のある年代値が得られているが、誤差が大きい値、極端に古い値を除くと、形成年代は、34万〜36万年前と評価できる。火山体の年代としては、より若い34万年前という値を採用する(平均変位速度がより大きく算出される、すなわちいわゆる安全側の評価となる)。
・朝日台:かなり開析されており、独立した火山体としての形状は、あまり明瞭ではないが、分布としてはまとまっており、38万年前、42万年前という類似した年代が得られている。崩平山火山と同様に考え、より若い38万年前という値を採用した。
・花牟礼山:火山体の形状はあまり明瞭ではなく、崩平山の火山体に覆われる。55万年前、63万年前という年代が得られているので、崩平山火山と同様に考え、より若い55万年前という値を採用する
・作草安山岩※:火山体の形状は明瞭ではない。鎌田(1985)では、「中板溶岩」と呼称されている。35万〜64万年前という幅のある値が得られているが、極端に若い年代を除くと、46万〜51万年前、59万〜64万年前というバイモーダルな年代値分布となる。このような年代値分布については、今回の調査では、その意味を解明できていない。ここでは、崩平山火山と同様に考えて、年代を46万年前としておく。
なお、この溶岩岩体及び周辺の溶岩岩体については、猪牟田ダム建設に関連する地質調査が実
施され、各溶岩の年代値も得られているが、現時点では、引用できる形態では公表されていない。
・柴やかた峠溶岩※:火山体の形状は明瞭ではない。54万〜70万年前という幅のある値が得ているが、極端に若い年代を除いた値は、62万〜70万年前となり、ほぼまとまる。これより、年代値として62万年前を採用する。
・涌蓋山溶岩:柴やかた峠溶岩の上位に位置する。41万〜57万年前という幅のある値が得られ
ているが、極端に古い年代を除いた値は、41万〜45万年となり、ほぼまとまる。これより、年代値として41万年前を採用する。
なお、崩平山火山、野稲岳火山の東方には、「奥江礫層」と呼称される礫層主体の地層が分布するとされている(NEDO,1990)が、今回の調査では、変位基準面としての安定性、年代については、明確にできなかった。ただし、一部の断層のトレーズは、主にこの層の分布域にみられる。ここでは、変位基準としての年代を野稲岳、崩平山火山の前後とみて、40万年前と考えておく。
九州活構造研究会(1989)では、町田牧場付近に分布する溶岩は、筑紫溶岩(約120万年前)とされているが、NEDOによる地質図では、柴やかた峠安山岩・作草安山岩とされており、年代もかなり若く評価されている。今回もこの見解にしたがう。