は、現在の海域での貝の棲息深度をもとに、堆積時の古水深を算出した※(図2−5−2−3参照)。付図2には、貝化石から求めた古水深の変化も示している。
ここで、分析対象としている地層は、K−Ah火山灰層以降のものである。千田(1987)によれば、大分付近の海水準は、K−Ah火山灰の降下時期頃に最高となり(およそEL.+2m)、その後は徐々に低下し、4,000年前以後は、ほぼ現在と同様の位置にあったと考えられている。これは、日本列島における一般的な傾向とも一致している。
したがって、地層の堆積場が全く構造運動を受けていないならば、貝化石から求めた古水深もこのような海水準変動に応じたものとなるはずである。すなわち、少なくとも4,000年前以後は、堆積場が埋め立てられる効果のみが現れ、時代が新しくなるにつれて次第に堆積場の水深は浅くなると考えられる。
しかしながら、今回得られたデータからみると、No.5孔では、4,000年前以降にも堆積場の古水深が深くなる現象が何度か生じていると考えられる。このような現象は、海水準変動の傾向と逆である。このような現象が生じている層準は、次のとおりである。
※断層の落ち側の地層が厚くなるという現象は、断層活動によるパルス的な沈降だけでなく、徐々に沈降が進む場合にも生じうるが、対比線の時間間隔が広い場合には、両者は区別できないので、ここでは「増傾斜」運動として示した。
T:深度9.6〜9.4m(標高−5.6〜−5.4m)付近 (図2−5−2−4−1参照)
深度9.9m以深は、深度14.7m付近まで、貝化石の産出が極めて稀な砂層である。唯一の例外は、深度10.2m付近であるが、ここで産出する貝は、アサリが主体であり、極めて浅い海の環境(海浜付近)を示唆している。なお、この試料には、やや深い環境に棲息する種も含まれているが、明らかに海浜付近で堆積した地層(深度5.2m、現在の標高でEL.−1m)から産出した貝化石にも同様の傾向がみられる。これについては、海浜付近の環境では、波浪などによる移動で、やや沖合いに棲息する貝が混在してしまっていると解釈できる。
深度9.8mの試料から抽出された珪藻は、海水の影響が全くない淡水性の環境を示唆する種構成である。深度9.4〜9.9m間は、他でみられない特徴的な礫と砂、シルトの互層からなり、やや不安定な堆積環境であったことがうかがわれる。
このような環境を経て、深度8.7〜8.9m(EL.4.7〜4.9m)では、急激に貝や有孔虫が含まれる環境に変遷する(d層準)。層相は砂優勢の砂泥互層である。貝化石の種構成は、深度10.0mとかなり異なり、やや深い海水域に棲息する種が主体で安定した種構成を示し、深度10.2m、5.2mの試料のような異なる環境に棲息する種の混在はみられない。
以上の現象から、この層準付近では、深度9.6〜8.9mで堆積場の急激な沈降が生じ、淡水域から海水域への変化が生じたと推定される。
U:深度17.4〜17.2m(標高−13.4〜−13.2m)付近 (図2−5−2−4−2参照)
この層準付近では、上・下位とも砂が優勢である。深度17.4m以深は、貝化石の産出が少なく、かなり粗粒である。含まれる貝化石は、キサゴを特徴的に含み、かなり浅い海の環境を示す(算出した古水深は5〜6m)。
深度17.4〜17.2mは薄い泥層となり、深度17.1m以浅は、貝化石や有孔虫を多産する泥質な砂層(c層準)となる。c層準の下部に含まれる貝化石は、やや深い海水域に棲息する種が主体である(算出した古水深は8〜16m)。
以上の現象から、この層準付近では、深度17.4〜17.2m付近で堆積場の急激な沈降が生じたと推定される。
V−1:深度29.3m(標高−25.3m)付近 (図2−5−2−4−3参照)
深度30m以深は、潮の干満の影響を示唆する斜交葉理が発達し、貝化石の産出が少ない砂泥互層からなる。含まれる珪藻化石は、淡水性種が海水性種より多いか同程度であり、淡水の影響が強い環境であったことを示唆する。深度29.7〜30.0mは、陸に近い環境を示す泥炭質の砂層である。その上位の深度29.3m以浅は、泥層となり貝化石が多産する(b層準)。b層準に含まれる貝化石は、やや深い海水域に棲息する種が主体である(算出した古水深は10〜16m)。
以上の現象から、この層準付近では、深度29.3m付近で堆積場の急激な沈降が生じたと推定される。
※ただし、貝化石から算出された古水深の誤差を考慮し、以下では、その値自体をもとに検討するのではなく、古水深値の変化をもたらした貝化石の種構成変化を重視する。当面は、古水深の値は、環境の急変に伴う種構成変化の1つの表現形式として扱うこととする。
V−2:深度34.7m(標高−30.7m)付近
深度38m以深は、全体に泥質であり、K−Ah火山灰層付近と一連の層相である。深度38m付近以浅は、V−1と同様に、潮の干満の影響を示唆する斜交葉理が発達し、貝化石がほとんど産出しない砂泥互層(深度38〜35.7m)から、陸原物質の供給の増加を示す泥炭質の砂層(深度35.7〜35m)を経て、貝化石が多産する砂優勢互層(深度34.7〜33.2m)に変遷する。この層に含まれる貝化石の示す古水深は、10mであり、他の層準での古水深変化に比べると変化が小さい。全体に上方粗粒化の傾向を示す。この砂層の上位は、再び急激にV−1の項で述べた斜交葉理が発達する層に変遷する。
以上の現象から、この層準付近では、深度35〜34.7m付近で、堆積場の急激な沈降が生じた可能性が考えられるが、後述するように堆積速度の変化との対応はみられない。
このほか、深度41m付近(V−3)と深度51m付近(W)でも、貝化石から算出した古水深が、これらの深度を挟んで下位から上位へ急激に大きくなっている。しかしながら、これらの層準は、いずれも泥質な層相の中であり、層相変化との対応は明瞭ではない。また、年代が4,000年BP以前であり、海水準が安定しているという仮定が必ずしもあてはまらない可能性がある。よって、ここでは、V−2と合わせて、参考データとして扱う※。
※一方で、No.4孔でも、V−3とWの深度に対応する層準で古水深の深化が生じている可能性がある。もし、このような古水深変化の同時性が成立しているならば、その原因としては、広域の海水準変動か、両地点の沈降を生じさせる(三佐断層ではない)共通の地質構造運動の2とおりが考えられる。大野川右岸では、南側に志村断層が存在し、かつ、この断層はK−Ah火山灰層堆積後、あまり時間をおかずに活動した可能性がある。No.4孔とNo.5孔で生じている可能性のある同時的な古水深変化は、志村断層の活動に起因するものかもしれない。