(1)朝見川地区での調査結果と評価

朝見川地区では、市営公園山びこ広場とその近傍で、地形からみた断層推定位置を挟んで南北方向に20〜40m間隔で、ボーリング地点を配置して調査を行った。

ボーリング地点を図3−3−5−1に、柱状図断面図を図3−3−5−2および付図3に示した。

(1) 断層の位置

ボーリング調査で得られた次の情報から断層の位置が推定される。

a.断層破砕帯の存在

最も山側で掘削したbS孔(山裾から8〜10m離れ)の標高−11.7〜−13.7mに、角礫化した浜脇層のシルト岩、浜脇層のシルト岩・砂岩・礫岩・安山岩溶岩(乙原溶岩)の角礫を含む断層破砕帯様の角礫混り粘土が出現する。

b.基盤岩の地質構成の相違

bS孔の標高−13.6m以深には、浜脇層のシルト岩・砂岩・礫岩が出現する。この地質構成は、bS孔の南側の崖と同じである。一方、平地側のbP〜bRでは、標高−20.3〜−24.8m以深に輝石安山岩質の火山泥流堆積物(礫層)が出現する。これは、浜脇層の上位に出現する乙原溶岩に対比できる。

c.斜面崩壊堆積物の分布

現在の地形では、bS孔の南側の崖の崩壊によって形成された堆積物が崖裾に分布している。bS孔の標高−13.4m以浅のほとんどがこのような堆積物(浜脇層の風化部由来の角礫を多く含む淘汰の悪いシルト〜粘土、所々に旧表土を挟む)からなる。より平地側のbP孔でも、同様の堆積物が標高−4.5〜−10.3m間やK−Ah火山灰の近傍にみられるが、個々の堆積物の層厚は薄く(最大1.3m程度)、孔中で占める割合も低い。さらに平地側に位置するbQ孔では、標高−10.5〜−5.7mの間に、このような浜脇層風化部の崩壊に由来するとみられる砂〜角礫層が出現するが、bP孔に比べて、全体に細粒で、層厚も薄い(最大0.3m程度)。

このような斜面崩壊堆積物の存在及びその層相変化からみて、断層崖に相当する崖が、常にbS孔の南側に存在していたと考えられる。

上のa.b.cの情報からみて、本地域で沖積層の基盤を大きく変位させている断層は、bS孔の深部の破砕帯部を通り、地表では南側の崖裾付近に延びるように存在していると推定される。

なお、この場合でも、沖積層に変位を与えている新しく活動した断層がより平地側に存在する可能性はあるが、bP孔、bQ孔、bR孔の沖積層中の地質分布(K−Ah火山灰の出現標高の同一性など)、上下方向の層相変化の対応などからみて、平地側に沖積層を変位させている断層が存在する可能性はごく小さいと考えられる。

(2) 断層の走向・傾斜

bP孔の深部で確認された断層破砕帯と、断層崖と考えられる現在の崖の裾の位置を結ぶと、この断層の傾斜は、北傾斜60°から65°となる※。

また、この崖線の延びの方向が断層の走向に対応しているとすると、断層の走向は、ほぼ東西となる。これは、従来大局的な地形判読から推定されていたこの付近での朝見川断層の走向(西北西−東南東)と斜交している。

当地区でもこの断層の走向をそのまま西方に延長すると、朝見川地区の公民館の南西側で、南側の山地からもたらされた扇状地を横断する。ここでは、人工改変が著しいものの、断層の延長部の扇状地面上に東−西ないし、西北西−東南東走向の比高1m程度の小崖が連続している。しかし、この走向をそのまま西方に延長すると、南側の山地にぶつかってしまう(図3−3−5−1参照)。

もし、断層が山裾に位置すると考えると、この位置で北西−南東方向に大きく走向が変化することになる。さらに、この走向で北西に延長すると、朝見川神社拝殿南側の段差の位置に延びていくようにみえる。さらに西方になると、山裾の走向は再び東−西となる。

このような山裾の線の走向変化(東−西→北西−南東→東−西)は、朝見川断層と一連とみられる堀田断層まで続く。また、朝見地区の東方でも同様の地形変化が浜脇地区から別府−大分の市街地境界付近までみられる。

このような地形変化がそのまま断層の走向の変化に対応しているという証拠は現在のところ得られていないが、地形から推定される雁行状の断層配列が実際に存在した場合は、横ずれ変位が存在する可能性も考えられ、以下に述べる変位センスや変位量の評価にも影響することになる。

※現在の崖は浸食により後退していることを考慮すると、推定される断層の傾斜はさらに大きくなる。

(3) 断層の変位センス

地形的にみた本断層の変位センスは北落ちである。今回確認された、南方の山地部を含めた基盤の乙原溶岩(46万〜108万年BP)の分布、竹原・壇原(1993)が指摘した由布川火砕流(60万年BP)の分布及び沖積層の地質構成とその中の層相分布(斜面崩壊堆積物や断層崖下の凹地を埋積したと推定される泥炭層の分布など)からみて、地質的にも断層の変位センスは、北落ちである。

ただし、K−Ah火山灰(6,300BP)が標高−17〜−18m付近で出現し、基盤上面との間の地層の厚さは最大6.5m程度であることから見て、断層落ち側の基盤より上位の断層は、ほとんどが最終氷期以降に形成されたものと考えられる。すなわち、基盤とその上位の地層の間には、数10万年の時間的隔たりがあることになる。これは、朝見川断層が、由布川火砕流堆積以後、常時北落ちの活動をしていたとすると説明しにくい現象であり、最終氷期以前に何らかの構造運動の変化があったと推定される。

以上をまとめると、この断層の変位センスの評価としては、少なくとも、過去1万年間程度は、連続した北落ちの変位を示している、という限定した評価となる。

(4) 変位量及び活動度

既往の文献資料及び平成10年度調査での堀田−朝見川断層の変位量評価は、表3−3−5−1の通りである。

表3−3−5−1 既往資料での朝見川断層の変位量の評価

今回のボーリングで確認された乙原溶岩の上面の分布標高を南側の山地での分布標高と比べると、200〜300m程度北落ちという評価ができる。これは、@の評価とほぼ同じである。

しかしながら、(3)で述べたように、今回のボーリング結果からみると、断層の活動には、由布川火砕流堆積以後、沖積層の形成開始までの間に大きいギャップがあるようにみえる。これをより具体的にみると、表の@、Aで示される時期の活動が、その後一旦停滞し、再度加速してすすんだという可能性が考えられる。一方、新しい変位基準面の変位量からみた完新世における活動度評価(表のB、C、D)は、おおむね同程度である。

今回のボーリング結果では、沖積層中にK−Ah火山灰が確認されており、その分布標高はEL.−17〜−18m、現在の地表からの深度は、GL.−23〜−24mである。No.1孔でのK−Ah火山灰近傍には、南側の山地からもたらされた斜面崩壊堆積物や旧表土とみられる黒ボク土が出現することからみると、同火山灰は、陸上部で、当時の地表に近い、ごく浅い凹地で堆積したと推定される。また、K−Ah火山灰降下時の海水準は、大分市内でEL.2〜4mにあったと推定されている(千田,1987)。以上のデータをもとに判断すると、K−Ah火山灰は、堆積後に少なくとも20m程度分布標高が下がっていることになる。

この現象が、朝見川断層による北落ちの構造運動によるものだとすると※※、K−Ah火山灰降下以後の上下方向の断層変位量は前出の表のB、C、Dの評価と同じ程度となる。すなわち、上下方向の平均変位速度は、3.2m/1,000年となり、活動度はA級と評価される。

同様にして、Yf(由布)火山灰(2,000年BP)に対比される火山灰層も、旧表土に挟まれて、GL.−7〜−8m(EL.−2〜−3m)に分布することから、2,000年BP以降にも、少なくとも2〜3m以上北落ちの構造運動があったと推定される。

※※ 断層の落ち側にしか分布しないK−Ah火山灰の現在の分布標高から断層による変位量を見積もることについては、南側の山地部を含めた落ちのセンスの運動があった場合には、この方法で変位量は算出できないという批判がありうる。確かに、大分市内の調査結果からみると、地溝南縁の断層の活動は、かなり広域的にとらえないと評価を間違えてしまう可能性があると思われる。

一方、朝見川断層に限定して考えると、既述のように、断層位置を挟んで乙原溶岩や由布川火砕流の分布標高に数100mの差があり、前述したような問題はあるものの、過去数10万年間は変位が累積しているという評価はできると考えられる。すなわち、ここでは、地層の分布標高の変化は南側の山地も含めた広域の地殻変動を考えずに、この断層の活動で説明してよいと考えた。

(参 考) 活動イベントの解析

今回の調査で確認された断層の落ち側の地質構成・層相分布から断層活動イベントの検討を試みる。ただし、以下の検討は、断層を挟んだ両側の地層の対比とその変位の評価にもとづくものではないため、得られたイベントは確実なものではない。

○イベント解析の前提

@(3)、(4)で述べたように、少なくともK−Ah火山灰降下以後は、断層の北側が落ちる変位が累積している。このような変位の累積が通常の断層運動で想定されるように間欠的であったとすると、堆積物の層相変化から何らかの活動イベントが読みとれる可能性がある。

A本地区の沖積層は、a.朝見川本流から供給される、扇状地を構成する河川性の堆積物。

          b.南側の山地から供給される堆積物(斜面崩壊や土石流、地すべり等によるもの)

          c.原位置で形成される堆積物(泥炭、黒ボク土等)から成る。

このうち、a.は鶴見岳火山等に由来する安山岩質の砕屑物から、b.は山地を構成する浜脇層の堆積岩や乙原溶岩由来の砕屑物から成り、構成物質の相違・色調等で概ね区別できる。

B朝見川本流との関係でみると、調査地点は現在の本流の位置から150〜200m程度離れて、地形的にもやや低くなっており、堆積環境としては、氾濫原にあたる。ただし、このことは、過去に朝見川本流が山裾付近を流下していたことを否定するものではなく、南方の山地に大規模な地すべり地形がみられ、調査地西方の朝見川浄水場の北方で、朝見川の流路が北西−南東方向から西−東へと大きく変化していることからみると、現在の流路はこの地すべりによって変更されたものであり、かつては現在の山裾を流下していた可能性が高いと考えられる。

Cまた、本地区は海岸に近いため、基本的には、K−Ah火山灰降下以後の海水準低下傾向が、堆積物の層相を規制していると考えられる。すなわち、西方の山地からの砕屑物供給に変化があったとしても、別府扇状地構成層の層相は、K−Ah火山灰以降、大きくみると、上方粗粒化・厚層化の傾向を示す(基本的に堆積盆埋積作用が河川堆積過程のもとで進行したもの)と想定される。

○ボーリングコアにみられる鉛直方向の層相変化

ボーリングコアにみられる鉛直方向の層相変化をまとめると、次(表3−3−5)のようになる。

本地区の過去(前述B参照)、現在の地形的条件から想定される河川構造物の層相は、大きく次の2つに区分できる。

a−1.流路を充てんする土石流などの重力流堆積物。

このような堆積物は、一般に粒度・層厚共に大きく(礫主体、層厚はmオーダー)、堆積構造としては、上方細粒化、上方粗粒化(粒子流−grain flow−によるもの)の両方がみられる。

a−2.流路から溢流した氾濫原の洪水性堆積物

このような堆積物には、特徴的に上方粗粒化(逆級化)がみられるとする報告(増田・伊勢屋,1985など)がある。また、そのような層相が、側方では正級化構造へ移りかわるという報告(鈴木,1994)もある。堆積物を供給する流れの性格からみて、各層相変化サイクルの規模はあまり大きくないと考えられる(おおむね1m以下か?)。

前述のA、B、Cの考察に加え、このような堆積モデルを想定して、前述の層相変化を解釈すると、次(図3−3−5)のようになる。