(4)地割れ位置の調査

地表からは地割れの位置が特定できないことから、地下レーダーによる探査を行った。地下レーダーの探査位置を図4−57に示す。探査記録については巻末資料に参考資料として添付した。以下に各側線の探査結果について記す。

@反射法探査A側線

古絵図に示された地割れの西方延長にあたる、反射法地震探査A側線における地下レーダー探査の結果、地割れの存在を示すような地下構造の変状は確認できなかった。

A武家屋敷

古絵図で地割れが生じたとされる武家屋敷(小役人屋敷)下の丁における地下レーダーの結果、一部に基盤の盛り上がりを示すと推定される構造が見られたが、地割れの埋め戻し跡と見られるような構造は確認できなかった。

B島原城の堀

古絵図で地割れが描かれ、石垣の補修跡が確認された島原城の西堀の底で地下レーダー探査を実施したが、石垣補修跡付近も含め、地下に地割れの跡を示すような構造は確認できなかった。

C二の丸

島原城二の丸は、現在、文化会館や公民館が建設されており、築城当時の面影はないが、二の丸の南西端には、築城当時のものと考えられる建物の土台の盛土が残っている。

この盛土上で実施した地下レーダー探査の結果では、地表から3m付近に、盛土基礎と思われる強い反射面が確認された。このは反射面は側線全体で良く連続するが、北端付近で一部が途切れているのが認められた(図4−57)。

この盛土が築城当時(1618〜1625年)のものであるとすれば、地下レーダーで認められた変状は、1792年の地震によるものである可能性がある。

そこで、この変状の実体を確認するため、トレンチ調査を実施した。