そこで、地震以前の西暦1618〜1625年に築城された島原城の石垣について、補修跡を調査した。調査に当たっては、周辺の石積と、石の大きさや積み方が明らかに異なる部分を「補修跡」と判断した。島原城内における石垣の補修個所の位置図と写真を図4−55、図4−56−1、図4−56−2、図4−56−3)に示す。
図4−55に示したように、本丸の北部と二の丸の南部に石垣の崩壊跡が集中しており、古絵図に示された地割れの位置との関係から、地震による崩壊の可能性も考えられる。しかしながら、これらの崩壊の時期や要因については全く情報がないため、これらを「島原大変」の地震被害と断定することは出来ない。今後、石垣の補修記録等の古文書の検討をする必要がある。