(3)島原城内の石垣

1792年の「島原大変」における地震は、「日本の地震活動」(地震調査研究推進本部地震調査委員会編、1999)によれば、震源は雲仙岳北方でM6.4と推定されており、古文書によれば、地震の揺れにより家屋や城内の石垣に被害が出たとされている(図3−7表3−1)。

そこで、地震以前の西暦1618〜1625年に築城された島原城の石垣について、補修跡を調査した。調査に当たっては、周辺の石積と、石の大きさや積み方が明らかに異なる部分を「補修跡」と判断した。島原城内における石垣の補修個所の位置図と写真を図4−55図4−56−1図4−56−2図4−56−3)に示す。

図4−55に示したように、本丸の北部と二の丸の南部に石垣の崩壊跡が集中しており、古絵図に示された地割れの位置との関係から、地震による崩壊の可能性も考えられる。しかしながら、これらの崩壊の時期や要因については全く情報がないため、これらを「島原大変」の地震被害と断定することは出来ない。今後、石垣の補修記録等の古文書の検討をする必要がある。