(2)1922年「千々石湾地震」

久保寺(1983)によれば、千々石湾地震は、1922年(大正11年)12月8日1時50分と、約9時間後の11時2分の2つの地震からなる。第1回は北有馬を中心とした島原半島南部に被害が集中し、第2回では小浜町に被害があった。この地震により九州西部で震度4のゆれが発生した(図3−9)。

本地震の震源については、図3−7では千々石湾内とされているが、研究者により諸説がある。この理由としては、当時、各観測点の時刻精度が悪く、震源決定をS−P時間と初動の方向から求めていたこと、さらに、この地震が最初に短周期の波を発生した後、3.3秒後に長周期の波を発生させたいわゆる双発地震であったため、地震記録に2つの地震波が重なり、S−P時間の読み取りに誤差が出たことによるとされる。