1792年の「島原大変」における地震の際、島原城下で地割れが出来たとの古記録があり、断層が伏在している可能性がある。
既往ボーリング資料によれば、島原市広馬場付近において雲仙火山の基盤(口之津層群上面)に最大200m以上の南落ちの落差が推定されており雲仙地溝の北縁が島原市内まで延長している可能性が高い。
国土地理院の水準測量によれば、島原市内を北端とし布津断層を南端とする範囲が、明治以降年間2mm沈降していることが知られている。この沈降は地震活動を伴わないものであり、雲仙地溝の形成、現在の雲仙活断層群の活動性評価において重要な意味を持つとも考えられるが、沈降の原因等は不明である。