その際、ピストンコアによるコア対比による活動性評価には精度的に劣るものの、音波探査記録からk−Ah層準の変位量を読み取り、断層の活動性の概略を明らかする必要がある。
橘湾南部断層群は、既往調査では南串山から西方に向かって変位量が小さくなっていることが知られていた。本調査によって、橘湾南部断層群の西方延長の橘湾西部(茂木沖)にK−Ah層準が2m以上変位する活動性の高い断層が確認された。
橘湾南部断層群が西に向かって変位量が小さくなることは、雲仙活断層群の南西端を示すとも考えられ、再び変位量が大きくなる橘湾西部(茂木沖)の断層群は雲仙活断層群とは別の断層群である可能性もある。したがって、橘湾西部(茂木沖)の断層群の活動性を明らかにし、橘湾北部や東部で示された雲仙活断層群の活動と同じかどうかを検証する必要がある。
その結果、橘湾西部(茂木沖)の断層群が雲仙活断層群の延長であることが明らかになった場合は、雲仙活断層群が長崎半島まで、さらにはその西方海域に及ぶ可能性もある。
反対に、橘湾西部(茂木沖)の断層群が雲仙活断層群とは別の断層群であると判明した場合は、橘湾南部断層群のどこに境界があるのかを明らかにする必要がある。
いずれにしろ雲仙活断層群の評価をする上で、南西端を決定する重要な問題である。
また、今回発見された橘湾西部(茂木沖)の断層群は、地理的には長崎市内で被害のあった1725年(M6.0)や1828年(M6)の地震を引き起こした断層である可能性があり、その評価を明確にする必要がある(図5−3−4)。
一方、橘湾では、松岡・岡村(2000)や今回の調査で明らかになった完新統を変位させる東西系の断層以外に、海上保安庁水路部(1994)によって更新統をきる北西−南東方向の断層が分布していることが知られている。
完新統を切る東西方向の断層は陸域も含めて雲仙火山の活動と関連すると考えられることから、その活動は雲仙火山活動開始後の50万年前以降と考えられる。したがって、それとは方向を異にする更新統を切る北西−南東の断層群は、雲仙火山活動以前の応力場に支配された活動であると考えられ、50万年前付近でこの地域の応力場が変化した可能性を示唆している。
今後は、こうした古い時代における応力場の変化とともに、雲仙火山の活動と断層活動との関連性についても検討する必要がある。