(3)ボーリング調査結果

以下に各ボーリングの結果を、深江断層落ち側No.1ボーリングから布津断層上がり側No.5ボーリングへ順に示す。、ボーリング結果を図4−6−22に、ボーリングコア写真を図4−6−23に示す。なお、1/50の詳細なボーリング柱状図とコア写真を巻末資料に示す。

@ No.1ボーリング

○孔口標高3.1m、掘削深度30m

No.1ボーリングは深江断層落ち側の深江川河口付近において、深度30mまで掘進した。

GL−17.26m(標高−14.16m:以下同様)以深の砂礫層はそれより上位に比べて良く締っている。ボーリング地点は低位扇状地Ub面とUc面の境界付近にあたるが、これらを構成する堆積物は未固結であることから、GL−17.26m以深の良く締まった砂礫層は、より古いと考えられ、低位扇状地T’面構成層であると推定される。

低位扇状地T’面構成層の上位には、未固結の砂ないし砂礫層が地表付近まで連続する。GL−15.17m〜GL−13.23m(−12.07m〜−10.13m)間には数枚の腐植層が挟まれている。陸上で堆積したと考えられるこれらの腐植層は、現在海水準以下にある。しかし、これらの腐植層の堆積年代は14C年代測定結果から15kaから12kaを示し、最終氷期における海面低下期の堆積物であり、現在の海水準以下にあることが沈降を示す証拠とはならない。

また、No.1地点での低位扇状地T’面構成層の上限が標高−14.16mにあることから、断層上がり側の低位扇状地T’面との比較によって深江断層の変位量を算定することも可能である。しかし、No.1における低位扇状地T’面構成層と断層上がり側の扇状地構成層を対比する鍵層がなく、基準面がない。しかもNo.1の扇状地T’面構成層の上部は新期の土石流堆積物で削剥されている可能性が高いことから、扇状地構成層の比高差が断層の変位量を示すとは限らない。

以上の結果から、No.1ボーリングでは深江断層の活動を確実に示す情報は得られなかった。

A No.4ボーリング

○孔口標高7.6m、掘削深度30m

深江断層落ち側のNo.1ボーリングでは、低位扇状地Ub、Uc面の土石流堆積物により、深江断層による沈降を示す海成層が確認出来なかったため、低位扇状地Ub面の土石流堆積物が達していないと考えられる、深江断層に近い場所でNo.4ボーリングを実施した。

No.4地点では造成地のため、GL−3.40m(標高+3.4m)の耕作土が地表である。ここからGL−5.47m(+2.13m)までは未固結の砂礫やシルトが堆積しているが、GL−5.47m(+2.13m)以深では締まった砂礫や砂が分布する。

このことから、No.4地点は標高2mまで古い扇状地堆積物が分布していることから、深江断層上がり側に位置すると推定される。したがってNo.4地点では、リニアメント位置の急崖よりも北側に断層が伏在する可能性が考えられる。

空中写真判読結果によれば、深江断層は東端部で3条のリニアメントに分岐しているようにも見える。断層主部の明瞭な断層崖のリニアメントからの連続性及び地形(急崖)の明瞭さからは、深江断層は中央のリニアメント、すなわちトレンチ地点の急崖に存在する可能性が高いと考えられる。

一方、No.4ボーリングの結果からは、北に枝分かれするリニアメントが深江断層である可能性がある。しかし地形的にはトレンチ位置の急崖に比較して不明瞭である。

地形的特徴とボーリング結果の矛盾があるが、断層リニアメントとして判読される現在の急崖は断層活動によって形成された断層崖がその後の崩壊・浸食により後退した結果であり、実際の断層はリニアメント位置の急崖の前面に伏在している可能性があるとの解釈もある。

No.4ボーリングの西方におけるトレンチ調査では、前述のように、リニアメント位置にはブロック化した崖錐堆積物が分布するのみで断層そのものは確認できなかった。断層の存在が推定される地層境界はリニアメント位置より北側に存在する。このことは、リニアメント位置の急崖がかつての断層崖が崩壊後退した結果であるという上記解釈を裏付けるものとも考えられる。

深江断層は東延長が海域に延びており、海域における深江断層位置との関係から陸域における断層の位置に関して検討する。

図4−6−24図4−6−25−1図4−6−25−2に示した深江断層・布津断層沖合の音波探査結果によれば、深江断層の沖合いの海底断層は、陸域のトレンチ位置のリニアメントの延長位置にあり、走向も西北西−東南東で陸域のリニアメントと同じである。一方、東西方向を示す北分枝リニアメントの延長海域には断層は認められない。

海岸付近における陸域の深江断層の位置については確実な証拠は得られていないが、以上の結果からは、トレンチ地点やNo.4地点に見られる急崖の北側を通る可能性が高いと考えられる。

B ボーリングNo.5

○孔口標高2.1m、掘削深度30m

布津断層落ち側のNo.2ボーリングで確認された布津断層の活動による沈降の拡がりを確認するため、布津断層と深江断層の中間の低位扇状地T’面の谷部でボーリングを実施した。

地表の耕作土の下位にGL−2.00m(標高+0.1m:以下同様)付近まで礫混じシルトが堆積している。その下位にはGL−5.60m(−3.5m)までは淘汰の良い砂層(一部礫混じり)が堆積している。珪藻化石分析結果から、この区間は内湾奥部の海域ないし干潟の汽水環境にあったと推定される。貝化石や有孔虫化石といった年代測定試料が得られなかったため堆積時代が不明であるが、これらの海成砂層は完新世の海水準で説明可能であり、断層による変位の有無は不明である。

なお海成砂層の下位(GL−5.60m:標高−3.5m以深)には、良く締まった砂礫主体の扇状地構成層が分布する。

扇状地構成層の上限という点から見れば、No.2からNo.5を経てNo.4へと布津断層から離れるに従って扇状地構成層の上面高度が高くなっているように見える。しかし、これらのボーリングは、断層運動による沈降によって海が侵入した可能性を検討する目的のため扇状地面を侵食した谷部において実施しており、扇状地構成層の上面の比較は意味がない。

C ボーリングNo.2

○孔口標高4.0m、掘削深度50m

ボーリングNo.2は深江断層落ち側の沖積低地で実施した。この地点は過去に閉塞された海域だったと推定される。

GL−23.14m(標高−1.14m:以下同様)以深は良く締まった砂礫を主体としており、最上部の砂礫は風化していることから、これ以下は扇状地構成層と判断される。

扇状地構成層の上位の未固結堆積物の層序を下位より示す。

・GL−23.14〜−22.53m(−19.14〜−18.53m)

淡水珪藻を産するシルト及び腐植層が堆積しており、その14C年代測定は18.710〜18.440 ybp(暦年:以下同様)である。この時期は最終氷期の海面低下期であり、現海水準以下に陸成層が存在しても断層による沈降の証拠とは言えない。

・GL−22.53m〜−14.92m(−18.53〜−10.92m)

未固結の砂礫層が堆積する。最上部に風化帯が認められる。

・GL−14.92〜−14.41m(−10.92〜−10.41m)

下位の砂礫層風化部の上位に泥炭層が堆積する。泥炭層の年代は14C年代測定で約8kaを示す。一方、GL−14.88〜−14.83m(−10.88〜−10.83m)からは沿岸部を示唆する珪藻化石も産出することから当時の標高はあまり高くなかったと推定される。

・GL−14.41m〜−13.56m(−10.41〜−9.56m)

砂礫層が堆積する。

・GL−13.56〜−10.96m(−9.56〜−6.96m)

シルト質砂が堆積し、内湾〜沿岸部を示唆する珪藻化石を産する。GL−11.95m(−7.95m)の14C年代は7,830−7,880 ybpを示す。GL−11.65〜−11.60m(−7.65〜−7.60m)では汽水環境を示す珪藻化石を産する。

・GL−10.96〜−9.29m(−6.96〜−5.29m)

風化を示す褐色の砂・礫層が堆積する。上部に挟在される褐色シルト層(GL−9.55〜−9.50m(−5.55〜−5.50m)から海生珪藻化石が産出する。酸化環境を示す褐色化が見られることから、堆積時には海域であったとしても、その後陸化したと考えられる。

・GL−9.29〜−9.26m(−5.29〜−−5.26m)

薄い腐植層で14C年代測定結果は7,440−7,310 ybpを示す。

・GL−9.26〜−6.58m(−5.26〜−2.58m)

貝化石を含む砂質シルトが堆積しする。GL−5.24mまで内湾〜沿岸部の環境を示唆する珪藻化石を産する。最下部付近のGL−9.20m付近からは色付き火山ガラスが産出する。

・GL−6.58〜−5.35m(−2.58〜−1.35m)

砂層が堆積する。下位より引き続き海生珪藻化石が産出する。GL−5.83m(−1.83m)の14C年代は2,750−2,460 ybpを示す。

・GL−5.35〜−5.24m(−1.35m〜−1.24m)

腐植層が堆積する。GL−5.25m(−1.25m)の14C年代は2,350−2,150 ybpを示す。GL−5.35〜−5.30m(−1.35〜−1.30m)からは下位より引き続き海生珪藻化石が産することから、陸域であっても標高は低かったと考えられる。

・GL−5.24〜−1.81m(−1.24〜+1.81m)

砂・砂礫が堆積する。最終的に陸化したと考えられる。

層相観察、産出する珪藻化石、及び年代測定結果から、No.2ボーリング地点の古環境の変遷は以下の様に解釈される。ボーリングNo.2の解析結果を図4−6−26に、No.2のGL−5m〜−15mのコア写真を図4−6−27に示す。

・GL−14.92m(−10.92m)付近からGL−10.96m(−6.96m)付近は産出する珪藻化石からGL−11.62m(−7.62m)付近までが海成層で、最上部は汽水域へと変化したと考えられる。最下部付近のGL−14.50m(−10.50m)が8.05〜7.95ka、上部のGL−11.95m(−7.95m)が7.83〜7.68kaであることから、後氷期の海面上昇期の堆積物と考えられる。

・GL−10.96m〜−9.29m(−6.96〜−5.29m)付近は、海生珪藻化石を産することから堆積時には海域であったとも考えられるが、酸化色を呈することから一時的に陸化したと考えられる。

・GL−9.29〜−9.26m(−5.29〜−5.26m)の腐植層はこの陸化の時期に堆積したと推定され、その時代は7.4〜7.3kaである。この年代及び直上のGL−9.25〜9.20m(−5.25〜−5.20m)に色付き火山ガラスが産出することから陸化はK−Ah降下の直前と考えられる。

・GL−9.26m〜−5.24m(−5.26〜−1.24m) には再び海成層が堆積している。このことからNo.2地点では、一旦陸化した後に海が侵入してきたことを示しており、その後は2.5ka前後まで海域であったと考えられる。

・GL−10.96〜GL−9.26m(−6.96〜−5.26m)の陸上風化や腐植層の堆積はNo.2地点が一時陸化したことを示す。この時期は腐植層の14C年代が7.4〜7.3kaを示すことから縄文海進の最盛期直前であり、海水準が高かった時期である。高海水準の時期に陸化していた原因は不明であるが、GL−10.96〜−9.29m(−6.96〜−5.29m)の砂礫の存在から、土石流等による急速な埋め立てによる陸化の可能性が考えられる。

・一旦陸化した地点に海が進入する原因としては海水準の上昇が考えられる。腐植層の年代が7.4〜7.3kaであることから、海進の時期は縄文海進最盛期直前である

・陸域に海が進入してきたということは、海成層の直下(腐植層の最上部)は当時の汀線とみなせる。

・島原湾付近の縄文海進の最高海面は、島原湾の対岸の玉名で約+2.0mとされている(長岡他、1997)。

・No.2地点にGL−9.26m(−5.26m)の時代は7.4kaであり、縄文海進最盛期の直前であることを考慮したとしてもり、当時の海水準は最低でも標高0mないし−1m付近にあったと考えられる。

・これらの証拠から、7.4kaにおいて標高0mないし−1m付近にあったと考えられる汀線の堆積物が、現在標高−5.26mに沈降していることが明らかとなった。その沈降量は4〜5mとなる。この沈降の原因は布津断層の活動による可能性が高い。

D ボーリングNo.3

○孔口標高4.7m、掘削深度30m

布津断層・深江断層の落ち側でのボーリング調査で、断層活動の証拠が得られた場合、両断層が同時に活動したのか、単独で活動したのかを検討するため、布津断層上がり側の変動の有無を確認する目的で、低位扇状地T面の谷部でボーリングを実施した。

地表からGL−5.10m(標高−0.4m:以下同様)までは泥炭や未固結の砂層が堆積しており、下部のGl−4.39m(+0.31m)の14C年代測定結果は7.67〜7.57kaを示した。

GL−5.10m(−0.4m)より下位は良く締まった砂礫層主体の地層で、最上部のGL−5.10〜−6.48m(−0.40〜−1.78m)間は風化している。

以上のボーリング結果から、No.3地点は低位扇状地T面形成後は基本的に陸域にあり、7.6ka以降、扇状地面を侵食する谷の形成によって沖積層堆積場となったと推定される。

ボーリングNo.3では、低位扇状地T面構成層中に海成層が挟在されることが明らかになった。

GL−25.95〜27.85m(−21.25〜−23.15m)間にはシルト質砂が堆積しており、この砂層中に生痕化石が認められた(図4−6−28)。珪藻化石分析でもこの砂層から、塩分濃度に変化のある環境、すなわち内湾奥部から沿岸部の環境が示唆され、海成層であると考えられる。

低位扇状地T面構成層はAso−4(85−89ka)以前の堆積物であることから14C年代測定が適用できない。そこで花粉分析による古気候から年代の推定を試みたが、花粉化石が殆ど産出しないためこの堆積年代は不明である。

この海成層の上位のGL−24.75〜14.40m(−20.05〜−9.70m)間は、所々風化帯を示す砂礫と砂からなり、挟在される細粒部で実施した分析でも珪藻化石が殆ど産出しないことから陸域の酸化環境が示唆される。

不確実ではあるが、これらの海成層、陸上風化層を、それぞれ海進期、海退期を示すものとすると、低位扇状地T面形成の80ka以前の海退期としては最終氷期が想定され、それ以前の海進期としてstage5e(約120ka)の可能性がある。

島原半島東岸におけるstgae5e当時の海水準は、南有馬町原城付近に分布する大江層で+12.7mと見積もられている(下山他、1999)。

No.5のGL−25.95m(標高−21.25m)付近の海成層がstage5eであるとするとその変位量は約34mとなる。この場合の平均変位速度は約0.28m/ky(B級)と計算される。しかしながら、No.3地点の海成層の堆積深度が不明なため確実な数値ではない。

島原半島南部の南有馬町原城付近に比べて、低位扇状地T面が30m以上沈降した可能性もあるが、両地域間に断層の存在は知られていない。ただし、雲仙火山の基盤をなす口之津層群の分布は、低位扇状地T面分布域より南に限られており、何らかの境界が存在する可能性もある。

E ボーリング結果のまとめ

深江断層および布津断層におけるボーリングでは、各コアとも低位扇状地T面及びT’面を構成する土石流堆積物および、その上位の新期の土石流堆積物流堆積物からなる砂礫層が主体であり、有効な鍵層が無いためコア間の対比には至らなかった。

布津断層落ち側で実施したボーリングNo.2の結果から、布津断層の縄文海進以後の変位量が約4〜5mと見積もられる。この結果は、平成14年度の橘湾東部における金浜沖海域の活動性の高いと考えられる断層のK−Ah火山灰降下(7.3ka)以降の変位量とほぼ同じである。

このことは、完新世(正確には最近7300年間)における断層の最大の活動量が、雲仙地溝の南縁部においては陸域と海域でほぼ同じであることを示している。

また、布津断層上がり側のボーリングNo.3では、低位扇状地T面構成層中に海成層が挟在されることが明らかとなった。この海成層がstgae5e(120ka)の海進期の堆積物と仮定すると、島原半島南部の南有馬町原城付近と比較して、低位扇状地T面が120ka以降に30m以上沈降している可能性もある。しかしながら両地域間に断層の存在を示す証拠は無く、海成層の年代や堆積深度に不確かさがあるため詳細は不明である。