低位扇状地T面の海岸部の布津町貝崎(図4−6−2−1、図4−6−2−2:露頭B)では、軽石を含む火砕流堆積物が厚く堆積しており、火山灰分析の結果Aso−4であることが確認された(図4−6−6−1の上、中段)。
低位扇状地T面の下流部の布津町大苑(図4−6−2−1、図4−6−2−2:露頭D)では、扇状地面の表土の直下にAso−4火山灰が堆積しているのが観察された(図4−6−6−2)。
一方、露頭Dの西方やや上流側の露頭C(図4−6−2−1、図4−6−2−2)では、橙色の軽石火山灰を土石流堆積物が覆っている(図4−6−6−1下段)。この橙色火山灰はAso−4と考えられることから、Aso−4降下後にも土石流堆積物の発生があったことを示している。
有家町牛谷橋の露頭E(図4−6−2−1、図4−6−2−2)では、2枚の火砕流堆積物に挟在される橙色軽石火山灰が分布する(図4−6−6−3)。この橙色火山灰には風化のため火山ガラスが少量しか含まれておらず、Aso−4火山灰かどうかの確認は出来なかった。しかし層序関係及び層相から、Y3とY4に挟在されるAso−4火山灰と判断される。
地表踏査の結果から、低位扇状地T面の下流部では、一部では土石流堆積物に覆われているものの、扇状地面の地表付近にAso−4火山灰が分布していること、また、扇状地面の中流部ではAso−4火山灰を覆うY4が分布していることが確認された。
以上の結果から、Aso−4火山灰はY2・Y3火砕流噴出後に降下し、その後はY4火砕流が扇状地末端に達していないことから、低位扇状地T面が離水したのはAso−4火山灰降下前後であったと推定される。町田・新井(2003)によればAso−4の降下時期は85−90kaとされており、低位扇状地T面の時代(離水時期)は80ka前後と考えられる。
一方、布津断層の北側(落ち側)では、扇状地構成層中に挟在される風化帯の上位に湯河内火砕流のY4ユニットと考えられる火砕流堆積物及びその上位の土石流堆積物が扇状地末端部付近まで分布している。Y4の下位のY3との間に分布すると考えられるAso−4火山灰は確認出来なかった。また、布津断層落ち側の扇状地末端付近の地表付近にはAT火山灰(26−29ka)の分布が確認された。
Y4火砕流及び土石流堆積物が扇状地末端まで達していることから、布津断層の落ち側の扇状地面はAso−4降下後にも堆積物が供給されていたことを示す。したがって、布津断層上がり側の低位扇状地T面が離水して堆積物の供給が停止した後も、布津断層の活動による沈降により、布津断層落ち側には堆積物が引き続き供給されたことを示すものと考えられる。扇状地末端付近にAT火山灰(26−29ka)が分布すること、俵石岩屑なだれ堆積物(60ka)が扇状地中部までしか達していないことから、低位扇状地T’面の離水時期は、Y4(80ka)以降で、俵石岩屑なだれ(60ka)までの間の70ka前後と推定される。
以上の結果から、布津断層の上がり側と落ち側の扇状地面には離水時期に違いがあると考えられることから、布津断層落ち側の深江断層との間の地形面を低位扇状地T’面として区別した。
図4−6−0参照