a)水無川周辺の地形区分
平成噴火前の1/2,500地形図(島原市1981年作成)及び空中写真判読に基づいて、水無川周辺の地形の細区分結果を図4−5−8に示す。また、各地形面の水無川に沿った縦断面を図4−5−9に示す。
水無川の南に広く分布する低位扇状地V面には、トレンチ地点付近で東西方向の直線的な沢地形が認められるが、この沢の北側に、沢の南側の低位扇状地V面と同一高度の地形面が存在する。さらに、水無川を挟んだ対岸にも、稲生山の東方に低位扇状地V面と同一面と考えられる地形面が分布する。水無川の北側にも低位扇状地V面が連続することから、現在の水無川の位置は低位扇状地V面が形成時に一端埋められ、その後に水無川により谷が形成されたと考えられる。
また、平成噴火によって埋め立てられる以前の水無川の河道沿いには、数段の河成段丘面が認められる。現在これらの河成段丘面は平成噴火の堆積物の下に埋没しており、これらの面の構成層やその年代を検討できない
これらの低位扇状地V面及び河成段丘面は図4−5−9の縦断面図に示したように、水無川の南北両側で高度に差は認められない。したがって、地形解析の結果からは、精度的に数mの変位まで否定することは出来ないが、少なくとも牡丹山の急崖を作ったような数10mの崖を形成するような断層活動は、低位扇状地V面形成(8ka)以降には存在しないと考えられる。
(b)水無川流域の地質踏査結果
現在、水無川流域は、平成噴火の堆積物に覆われており露頭状況が極めて悪いが、断片的に分布する露頭から水無川流域の地質を検討した。
平成噴火後の水無川流域の地形状況を示す空中写真と露頭位置を図4−5−10に示し、各露頭の状況を図4−5−11−1、図4−5−11−2、図4−5−11−3、図4−5−11−4、図4−5−11−5、図4−5−11−6、図4−5−11−7、図4−5−11−8、図4−5−11−9)に示す。なお、露頭位置は図4−5−8の地形区分図にも示した。
i)地点−1
トレンチ地点の北側の低位扇状地V面において、砂防工事に伴って掘削されたピットの法面(地点−1)に下位より、土石流堆積物(低位扇状地V面構成層)、火砕流堆積物(給源未詳)、黒ボク、含礫褐色ローム層、黒ボク、耕作土、平成噴火堆積物が確認された(図4−5−11−1)。
最下位の土石流堆積物の表層風化帯の14C年代は約12kaを示した。給源未詳の火砕流堆積物を覆う黒ボク層の14C年代は約8kaを示し、同層からはK−Ah火山灰ガラスの混入が確認された。このことから給源未詳の火砕流堆積物の年代は12ka〜8kaと考えられる。
含礫褐色ロームは上下に黒ボク層が存在する層位関係と色調から、当初K−Ah火山灰層の可能性が考えられたが、下位の黒ボクにK−Ahの火山ガラスがかなり多く混入する(火山ガラスの37%)こと、及び含礫褐色ローム層自体にはK−Ah火山ガラスが極微量しか含まれない(火山ガラスの3%以下)ことから、K−Ah火山灰層とは異なる。
含礫褐色ローム層を覆う黒ボク層の14C年代は、黒ボク層下部が1.56〜1.30ka、中部が1.29〜1.05kaを示した。
ii)地点−2
トレンチ地点の上流側の権現脇遺跡発掘現場では、低位扇状地V面構成層の砂礫層を覆う縄文晩期の遺物包含層である黒土層の下部に含礫黄褐色ローム層が分布する(図4−5−11−1)。このローム層にはK−Ah火山ガラスが極微量(火山ガラスの2%)含まれており、地点−1の含礫褐色ローム層に対比できる。
iii)地点−3
水無川南岸の地点−3において、低位扇状地V面構成層の土石流堆積物を覆う給源未詳の火砕流堆積物が確認された(図4−5−11−2)。
土石流堆積物上部に含まれる炭化物や腐植物の14C年代は11.1〜10.2kaを示した。また、土石流堆積物を覆い、給源未詳の火砕流堆積物に覆われる黒ボクの14C年代は8.2〜7.9kaを示した。
iv)地点−4
水無川の南岸に露出する低位扇状地V面を構成する土石流堆積物の掘削面に、土石流堆積物の堆積構造を切る崖があり、ローム層がアバットしている(図4−5−11−3)。この土石流堆積物を切る崖の下位では、土石流堆積物の堆積構造が露頭全体で連続しており断層の存在を示す証拠はない。この崖は河川による侵食崖と考えられる。
v)地点−5
水無川北岸の地点−5では、低位扇状地V面の土石流堆積物を直接覆って火砕流堆積物が分布する(図4−5−11−4)。土石流堆積物表層の風化帯の14C年代は7.66〜7.48kaを示した。
○給源未詳の火砕流堆積物
水無川の南岸の地点−1と地点−3及び水無川北岸の地点−5で確認された給源未詳の火砕流堆積物に関しては、年代測定結果から以下のように考えられる。
地点−1では12.6−11.9kaを示す土石流堆積物風化部を覆い、8.0−7.8kaを示す黒ボクに覆われる。地点−3では8.2−7.9kaを示す黒ボクを覆う。地点−5では7.6−7.5kaを示す土石流堆積物風化帯を覆う。
地点−1と地点−5の火砕流堆積物は年代測定結果から別の火砕流と考えられる。一方、地点−3の火砕流堆積物は年代測定結果からは地点−1或いは地点−5のいずれの火砕流とも同一と考えることが可能である。少なくとも2枚の火砕流堆積物が存在すると考えられる。
既往報告では赤松谷上流部に分布する4kaの水無川火砕流堆積物が知られており、年代測定結果からは地点−3、地点−5の火砕流が該当する可能性がある。地点−1の火砕流は従来知られていない未知の火砕流である。
vi)地点−6
水無川の北岸では河成段丘E面は平成噴火の堆積物に覆われるが、低位扇状地V面を侵食した崖に土石流堆積物が観察される(図4−5−11−5)。地点−6では低位扇状地V面構成層の土石流堆積物が比高約10mの崖に露出している。
vii)地点−7
地点−5の西側に低位扇状地V面を覆う含礫褐色ローム層が分布する(図4−5−11−5)。
viii)地点−8
牡丹山北側の直線的な崖には、古江火砕流堆積物が露出する(図4−5−11−6)。崖の基部は平成噴火の堆積物で覆われており、断層の有無に関する情報は得られない。
牡丹山からさらに上流部は岩床山の斜面に吹越溶岩(111から100ka)が露出している。この崖も基部が平成噴火堆積物に覆われており、断層の有無に関する情報は得られなかった。
ix)地点−9
水無川北岸(右岸)の崖には地点−6と同様に低位扇状地V面構成層の土石流堆積物が露出する(図4−5−11−7)。水無川南岸(左岸)の崖とは約300mの距離があり、水無川を挟んだ両岸の土石流堆積物の直接対比は不可能である。
x)地点−10
水無川上流には残丘状の地形面A面を構成する土石流堆積物が露出している(図4−5−11−8)。図4−5−9の縦断面からはA面は低位扇状地V面と同一の扇状地面である可能性があるが、土石流堆積物中には対比の基準となる鍵層がなく、結論は得られなかった。
xi)地点−11
水無川の河床の地点−11において、位置及び標高から、埋没した河成段丘E面上に堆積していると推定される、旧土壌を覆う火砕サージを伴う褐色の火砕流堆積物が確認された(図4−5−11−9)。
火砕流の下位の旧土壌の14C年代は5.89〜5.60kaを示し、K−Ah火山ガラスが確認された(火山ガラスの60%)。サージ堆積物や火砕流本体から検出した火山ガラスの殆どが屈折率1.498を示し、K−Ah火山ガラスは殆ど混入しない。
この火砕流は赤褐色を呈する構成礫を含むことで特徴付けられる。従来時代不詳とされている仁田町岩屑なだれ堆積物に含まれる赤褐色礫に似ていることから、ここでで“仁田町”火砕流と仮称する。
○“仁田町”火砕流の年代
水無川の南岸の地点−1、2、7において、黒ボク中に挟在される含礫褐色ロームの分布が確認された。これらは共に赤褐色の特徴的な礫を含むこと、K−Ah火山ガラスを殆ど含まないことから、地点−11の“仁田町”火砕流堆積物と考えられる。
地点−1における“仁田町”火砕流堆積物(礫混じり赤褐色ローム層)は、8.0−7.8kaを示す黒ボクを覆い、1.6−1.3kaを示す黒ボクに覆われる。
この火砕流堆積物の分布から、河成段丘E面が形成された後に、水無川の谷を“仁田町”火砕流が流下し、その際南岸の低位扇状地V面上に含礫褐色ロームが堆積したと推定される。なお、トレンチ地点においては、低位扇状地V面上の河川によりこの含礫褐色ローム層は削剥されてしまったと推定される。
(c)水無川周辺の地形・地質のまとめ
以上に示した水無川流域の地形・地質露頭について、水無川を横断する断面を図4−5−12に示す。
地形区分及び地質分布からは、低位扇状地V面は水無川の南北両岸に分布しており、低位扇状地V面形成以後、少なくとも8000年前以降に関しては数m以上の大きな変位を示す断層の存在を示す証拠はない。調査精度から数m以下の変位を伴う断層活動については不明である。
したがって、牡丹山の北側の直線的な崖を形成した可能性のある断層については、存在したとしても8000年前以降は大きな変位を生じるような活動は認められない。それ以前に活動した断層が水無川周辺に伏在する可能性については否定も肯定も出来ない。