4−2−1 平成14年度調査の概要

千々石断層は雲仙地溝の北縁をなす断層であり、南高来郡森山町から愛野町、千々石町にかけて橘湾の北岸に沿う直線的な断層崖を形成している。

既往文献(九州の活構造、1989:新編日本の活断層、1991)では千々石断層の西端は、唐比低地の東端付近、唐比漁港西側の小丘の崖までとされている。

これに対し中田・今泉(2002)は更に西方へリニアメントを延長し、唐比低地北側の丘陵の鞍部を通るとしている(図4−2−1の青線)。一方、長崎県の平成14年度調査では空中写真判読により、前述の唐比低地東端の小丘から唐比低地北側の丘陵の麓を結ぶ線上の沖積面に微かな段差を認め、千々石断層延長部の可能性を指摘した(図4−2−1の赤線)。千々石断層の西端部が唐比低地内まで延長するかどうかに関しては空中写真判読からは上述の2つの考えがある。

一方、唐比低地西側の有喜火山岩類からなる丘陵地には活断層の存在を示すリニアメントは判読されない。また、唐比低地周辺における地表踏査の結果からは千々石断層の存在を示す証拠は得られていない。

唐比低地の東側は中位扇状地U面を構成する古期雲仙火山後期の火山麓扇状地堆積物が分布する。この扇状地構成層の年代はK−Ar法年代で220kaが得られている(新エネルギー総合開発機構、1988)。

古期雲仙火山後期の扇状地堆積物は、唐比低地東部の南北方向の小谷付近で更新世の有喜火山岩類(1.6Ma:横瀬他、1999)に接している。両者の直接の関係がわかる露頭は確認できないが、その分布から有喜火山岩類に雲仙火山麓扇状地堆積物がアバットしていると考えられる。なお、有喜火山岩類は両輝石安山岩で、角閃石を含む雲仙火山噴出物とは露頭やボーリングコアで明瞭に区別される。

一方、唐比低地の南側は西部の有喜火山岩類の丘陵から半島状の尾根が東北東に延びている。この尾根の先端部の唐比温泉付近から唐比漁港の間は、比高2〜3mの礫堤が唐比低地と橘湾を隔てている。

唐比低地の中央部では松岡他(松岡他、1990;松岡・竹村、1993;松岡他、1996)によるボーリング調査が行われており(図4−2−1の1地点:柱状図を図4−2−12に示す。)、縄文海進時の層準が現在標高−11m付近に沈降していること、更にその下位には更新世の海成層が堆積しており、−30m付近の基盤直上には阿多−鳥浜(Ata−Th)火山灰(240ka:町田・新井、2003)が堆積していることが報告されている。

平成14年度調査で実施したNo.2ボーリング(図4−2−1のA地点)では、松岡他による唐比低地の層序を確認するとともに、より詳細な年代測定及び微化石分析(珪藻・花粉)による古環境・古気候の変遷を検討した結果、唐比低地の地史は以下の様に考えられる。

基盤の有喜火山岩類の風化部の直上に阿多−鳥浜火山灰(240ka)が堆積し、その後海成シルト層が堆積した。海成層の最上部には高屈折率(1.52)の火山ガラスからなる軽石が含まれており、ガラスの屈折率や層準からAso−3由来の可能性がある。Aso−3の噴出年代は酸素同位ステージ5e前後の約120kaとされている(町田・新井、2003)。花粉化石分析からは海成層の下部は冷涼気候が示唆される。

海成層の上位には淘汰の良い粗粒砂層が深度−26.04mから−15.03mまで続く。中部の深度−22.88〜−19.09mは酸化により褐色化している。僅かに産出する珪藻化石からは淡水環境が示唆され、海退期(寒冷期)の河川成堆積物とも考えられるが、唐比低地周辺には大量の淘汰の良い砂を堆積させるような河川が存在しないという問題もある。

深度−15mから−14.4mは産出化石と14C年代測定結果(GL−15.00m:23,360−21,450 cal ybp)から最終氷期の淡水環境を示す。

深度−14.4m〜−11.6mでは温暖気候を示す花粉化石と海生種主体の珪藻化石が産出し、GL−14.10mで14C年代が9,270−9,255 cal ybpであることから、後氷期の縄文海進に伴う堆積物である。

火山灰分析によればK−Ah火山灰は深度−12.00−11.68m付近に集中する。この間の深度−11.98m〜−11.92mには内湾種の貝化石に混じり水深20m以深に生息する貝化石が含まれる粗砂が挟在される。この粗砂層は、泥層中に突然堆積していること、貝化石や有孔虫化石が破壊されているものが多いこと、深い環境に生息する貝化石が含まれること等から、津波によってもたらされたイベント堆積物である可能性も考えられる。

K−Ah火山灰堆積後の深度−11.20mより上位では、珪藻化石が海生種主体から淡水種に変化する。なおGL−11.30mの14C年代は7,215−6,997 cal ybpである。海成層最上部(深度−11.20m付近)の堆積当時の潮汐の影響が不明なため若干の誤差を伴うものの、この層準を縄文海進のmarine topと仮定すると、諫早付近の最大海進標高が0.9mとされている(長岡他、1997)ことから、唐比低地では7000年間に約12mの沈降があったことになる。これが千々石断層の活動を示すものかどうかは不明であるが、何らかの構造運動があったと推定される。

深度−11.20mより上位では、淡水種主体の珪藻化石群集に間歇的に汽水種或いは海生種が混入する不安定な水域環境が示唆される。最大海進以降の海面が多少低下した時期にもかかわらず、再び海水が流入したことを示すこれらの珪藻化石の存在から、この間に何らかの構造運動(例えば断層運動による沈降)があった可能性もあると考えられる。

同じく平成14年度調査において唐比低地中央の南端付近で実施したNo.1ボーリング(図4−2−1の@地点)では、深度−12.35mで基盤の有喜火山岩類に達した。このことから唐比低地と橘湾の間の礫堤は、南西部の半島状の尾根から連続する有喜火山岩類の高まりであると推定される。

平成14年度の橘湾北部の音波探査結果によれば、唐比沖には東北東−西南西方向のリッジ状の基盤の高まりが確認されていることから、唐比低地の南側の基盤の高まりも同様のリッジと考えられる。したがって、唐比低地の南縁部には、基盤の高まりの北縁に沿った北落ちの断層が存在する可能性も考えられる。

平成14年度調査によって、唐比低地における縄文海進以降の約12mの沈降を生じさせた原因としては千々石断層の活動が考えられ、千々石断層が唐比低地内に延長している可能性が高い。

平成15年度調査としては、唐比低地内における千々石断層の位置を明らかにする目的で物理探査、ボーリング調査を実施した。