上述した年代測定結果や広域テフラによる年代値、花粉分析による古気候解析、珪藻化石や貝化石による堆積環境の解析等を総合して、唐比低地の古環境を考察した。
以下に下位より層準毎に考察する。
1) 最下位の深度35.72〜32.05mは珪藻の産出が非常に少ない。産出するものは淡水生で、海生の珪藻は破片状でごくわずかである。この海生種はおそらく異地性であろう。この層準については明確な古環境の推定は出来ない。
2) 深度35.83m〜3.5.00m:230ka〜250kaに降下したとされる阿多鳥浜火山灰層を挟在することからStage7(酸素同位体ステージ、以下同様)の堆積物と考えられる。温暖なステージ7にもかかわらず花粉、珪藻ともに保存されていない。わずかに産出する珪藻化石から淡水環境にあったと考えられる。以上の点から堆積環境としては比較的速やかに堆積する場、たとえば氾濫源のような堆積場であった可能性が考えられる。
3) 深度3.5.00m〜32.04m:深度32.76mと深度32.05mの花粉分析結果は、トウヒ属とスギ科が比較的高い割合で産出することから、今より冷涼な気候環境であったことが推定される。Stage7以降で冷涼な時期を選ぶとすれば、Stage6にあたる可能性がある。
4) 深度32.04m〜30.80m:深度31.6mでは珪藻殻数は多くはないが、泥質干潟指標種のNitzschia triblionellaが高率に産する。Stage6から5eへの温暖化に伴い、海域が拡がり干潟が形成されたと推定される。深度31.2mではFragiralia spp., Melosira gramulataなどの淡水生種とParalia sulcataやThalassionema nitzchioides などの海生〜汽水生種がそれぞれおよそ50%ずつを占め、海域に淡水域からの流れ込みが拡大したと考えられる。
5) 深度30.80m〜29.60m:この間は海水生の珪藻が80〜90%と優勢である。花粉化石では、常緑のカシ類(Cyclobalanopsis)やマキ属(Podocarpus)などの温暖環境を示す樹種の産出は目立って多くはないが、暖温帯性のモチノキ属(Ilex)がやや高率である。温暖化が進み、海域が拡大して内湾化したものと考えられ、最終間氷期のStage5eにあたると考えられる。
6) 深度29.20〜25.20m:珪藻化石は海生種が70〜80%でやや減少する。特に深度25.2mではやや低塩分を好むCyclotella striataが急増している。このことから、水域は淡水化の方向に変化したと考えられる。寒冷化による海域の縮小もしくは停滞、それに伴う淡水の流れ込みの増加が推測される。花粉化石では、マツ属が高率に産し、モミ属がわずかに高い比率になっている。モチノキ属は次第に低率になっており、寒冷化の様子が認められる。Stage5からStage4への変化に対応したものと考えられる。
7) 深度24.99m〜22.88m:珪藻も花粉も産出しないことから寒冷な時期で乾燥した陸域の堆積物である可能性がある。Stage4の亜氷期にあたる可能性がある。
8) 深度22.00m〜15.00m:砂層であり、珪藻の産出は少ない。産出する珪藻は主に淡水域に生息する群集である。花粉は、僅かに20.03mで産出するが、産出数は極端に少ない。全体的に礫質で河川成の堆積物と考えられるこの砂層は、Stage4〜2の寒冷な時期に当ると考えられる。
9) 深度15.00m〜14.40m:この間の粘土層からは、多くはないが淡水に産出する珪藻群集が産出する。深度15.0mでは18,430±100yBPという年代値が得られている。これは最終氷期の年代であり、海面低下によって淡水域となったと推定される。深度14.8mの花粉化石は著しく草本類が高率である。上位の深度14.1mが8,510±60yBPの年代値を示すことからみて、氷期が終わって温暖化が始まり、草原からやがて森林の発達へ向かう初期のころにあたる可能性が高い。
10) 深度14.00m〜11.60m:珪藻化石は全体に海生種が増加し、海進に伴う海水の流入が考えられる。
深度14.0mから急に海生の珪藻が産出していることから下位の深度14.4mの淡水群集との間に間隙があるように見える。この間の花粉組成にも極端な違いがみられ、深度14.1mでは常緑のカシ類やクリ属またはシイ属(Castanea/Castanopsis)が急激に多産するようになる。
深度11.6mでは60%を海生種が占める。この付近にK−Ah火山灰が挟在されることを考えると、この時期が縄文海進ピークのの高海水準期にあたると考えられる。花粉の産出状況では、常緑のカシはその後により高率を示すが、マキ属はむしろこの時期に産出している。
11) 深度11.20m〜8.80m:深度11.20mで突然淡水生珪藻が主体となる。この時点で唐比低地と海とを隔てるバリアが成立した可能性が考えられる。その後は、時折海生種が増加することから、海水と陸水の相互の影響を受ける不安定な水域環境が推測される。
この間、花粉の産出は常緑のカシ類やクリ属またはシイ属を主として極めて多く、温暖な環境を示す。
12) 深度8.38m〜0m:淡水生珪藻のみからなり、海水の影響をほとんど受けていない。年代値はおよそ5,000年前以降と推定される。
以上の考察結果から、最終間氷期(Stage5e:12〜13万年前)の海進によって形成されたと考えられる堆積物が現在、深度−30m付近に存在していることから、本地域はそれ以降全体として沈降域であったと考えられる。
また、縄文海進最盛期(深度−11.60m付近)以降の海水−淡水環境の環境変化は海水準変動のみでは説明しきれず、唐比低地の海側のリッジ状のバリアの形成や、千々石断層の活動と関連している可能性が考えられる。しかしながら、現時点では唐比低地における千々石断層の正確な位置が不明であり、単独のボーリング試料のデータから本地域の構造運動を検討することは難しい。