(3)1922年島原地震

雲仙地域における被害地震としては1792年の眉山崩壊・新焼溶岩流出に伴う地震の他、大正11年(1922年)の地震がある。この地震は当時は「島原地震」と呼ばれていたが、推進本部地震調査委員会の資料では島原半島の地震とされている。この地震については久保寺(1983)が詳しくまとめている。

久保寺によれば、島原地震は大正11年12月8日1時50分と約9時間後の11時2分の2つの地震があった。第1回は北有馬を中心とした島原半島南部に被害が集中し、第2回では小浜町に被害があった(図3−1−23−1、左上図:図3−1−23−2、左図)。

本地震の震源については、研究者や資料により諸説がある(図3−1−23−1)、左下図)。この理由としては、(イ)当時、各観測点の時刻精度が悪く、震源決定をS−P時間と初動の方向から求めていたこと、(ロ)この地震が最初に短周期の波を発生した後、3.3秒後に長周期の波を発生させたいわゆる双発地震であったため、地震記録に2つの地震波が重なり、S−P時間の読み取りに誤差が出たこと(図3−1−23−2、Imamura、1928)、が挙げられる。

震央位置に諸説あるため、この地震と雲仙活断層群の各断層の活動との関係については現時点では不明としておく。