(1)長崎県の被害地震

長崎県及び周辺の地震については、総理府地震調査研究推進本部地震調査委員会編(1999)において、次のようにまとめられている。

長崎県の被害地震を図3−1−21に示す。

長崎県に被害を及ぼす地震は、主に陸域の浅い地震である。浅い被害地震としては、1700年の壱岐・対馬付近の地震(M7)、1792年の島原半島の地震(M6.4)、1922年の島原半島の地震(M6.9、M6.5)などがある。このほか1657年の地震(M不明、長崎で被害大)、1725年の地震(M6.0、長崎、平戸で被害あり)、1828年の地震(M6、天草、長崎、五島で被害あり)などで被害が生じた。なお、周辺地域で発生した規模の大きな浅い地震によって被害を受けることもある。例えば、1889年の熊本の地震(M6.3)では、島原半島の眉山に山崩れがあった。また、南海トラフ沿いの巨大地震のなかで、四国沖から紀伊半島沖が震源域となった場合、地震動などによる被害を受けることがある。例えば、1707年の宝永地震(M8.4)や1854年の安政南海地震(M8.4)では地震動や津波による被害が生じた。また、1946年の南海地震(M8.0)でも、家屋への被害が生じた。

以下に雲仙地域を震源とする地震について述べる。

1792年の島原半島の地震は雲仙普賢岳の噴火活動に伴って発生した。1792年4月頃より島原半島周辺で有感地震が頻発し、5月21日にはM6.4の最大の地震が発生した。この地震が引き金となって古い溶岩ドームである眉山(当時前山)の一部が大崩壊した。崩壊した山体は有明海に流れこんで津波を発生させ、有明海沿岸に甚大な被害を及ぼした。この時の噴火では、噴火前から島原半島西部〜千々石湾(橘湾)付近を震源とする群発地震活動があり、1791年12月の地震では島原半島西部の小浜で家屋が倒壊して2名が死亡した。

1922年(大正11年)12月8日1時50分と約9時間後の11時2分に雲仙地域で2つの地震があった。この地震は震源が千々石湾内とされ、当時は島原地震と呼ばれたが、「日本の地震活動(追補版)」(地震調査委員会編、1999)では「島原半島の地震」と呼ばれている。この地震では島原半島南部や西部を中心に大きな被害が生じた。この地震の震源地については諸説があり、久保寺(1983)の研究について後述する。

また、1984年8月には島原半島西岸の千々石町付近で最大地震M5.7の群発地震活動があり、建物の一部破損や石垣破壊、墓石倒壊などの被害が生じた。

1990年から始まった雲仙普賢岳の最新の噴火活動でも、噴火約1年前から島原半島西部〜千々石湾で活発な地震活動があったが地震の規模は小さく被害はなかった。島原半島周辺では直接噴火活動に結びつかない群発地震もたびたび発生している。雲仙断層群に明確に対応する大きな地震は知られていないが、雲仙断層群では定常的に地震活動が発生している。