多田(1985)は、国土地理院による明治以降1世紀近くにわたる三角基準点の観測結果をもとに、九州の地殻歪・水平変位量分布をまとめ、これに基づいて沖縄トラフ北東端として別府・島原地溝を位置づけ、トラフの拡大によって南北方向の引張応力場が生じているとした(図3−1−17、左側の図)。
一方、佃(1993)は多田(1985)の解釈を排し、中央構造線の右横ずれによって九州北部の地殻変動を解釈した(3−1−17、右図)。このような中央構造線の右横ずれは、フィリピン海プレートの斜め沈み込みをその原因としている。