本地区はL1段丘面を開析した流路(沖積面相当)に当たる。
地層は下位から東海層群、“礫層”、沖積層、及び盛土である。
ボーリングTBB−8〜TBB−6間ではピット地点を含めて、沖積層相当層がほぼ水平に分布する。西側には沖積層相当層は見られず、礫層の上に直接盛土されている。礫層、及び東海層群の分布高度は西側(TBB−5、7)で高い。礫層上面の標高差は1.35〜2.0m、東海層群上面の標高差は2.5mである。少なくとも、東海層群の上面の標高差は断層変位の可能性が大きい。礫層上面の標高差については、単なる侵食によるものか断層変位によるものか、ここでは確証が得られない。その解明のためにはTBB−8とTBB−5の間で新たなボーリングを追加する必要がある。
なお、米軍写真(1948)の判読では、断層の方向と直交する方向の崖があり、南側が高いテラス状の地形が見られる。崖の高さは1m程度である。これは、断面の盛土@が米軍写真の時代には既に盛土されていたためと解釈される。
黒色土のうち、ピットの上位黒色土は耕作の徴候があるものの、元々は自然の地層と見られる。盛土@の下位にある黒色土はL段丘礫層の上面を削剥した上で年代の若い土壌を敷きならしたことも考えられる。
ピットの中の土壌や腐植質砂は、年代値から考察するといずれも約3,000 yBPである。想定される断層が沖積層の下部を変位させていることは確実と見られるが、ピットの土壌層を切っているかどうかは、TBB−8より西側のデータが不足しており、不明である。この土壌の連続性や変形構造によって、断層の活動時期を特定できる可能性がある。
以下、“礫層”の時代について検討する。
TBB−5の深度2.72〜2.82m及び3.80〜3.84mの年代はいずれも6,200 yBPで沖積層相当の年代を示す。しかし、本地区は、多少、沖積面に開析されているものの基本的にL1段丘面に位置する。ボーリングコアの観察によると、花崗閃緑岩の大小礫を含み、やや締まった岩相からみて、沖積層ではなくL段丘礫層相当と見られる。地層の分布レベルから見ると、礫層は周辺のL1段丘礫層とほぼ同等のレベルにあり、礫層はL1段丘礫層に対比されると見られる。ただし、断面西側の礫層(大小礫が混入)が、チャネル状に堆積した沖積層(砂主体)と同時位相である可能性も否定できない。以上の状況から、“礫層”はL1段丘礫層の可能性が高いと考えられる。
一方、ボーリングTBB−5のコアの年代値は沖積層相当であるが、この年代試料は深度2.72〜2.82mが砂礫層中に挟まれる黒色土で、漸移層を伴わない不自然さがある。また、3.80〜3.84mは酸化帯であるため、コアの汚染や何らかの理由で地層とは異なる年代を示した可能性が考えられる。この年代値だけで礫層を沖積層と断定することには疑問がある。よって、ここではTBB−5の年代値を参考値とした。
本地区の地質構造や断層変形構造の有無の確認のためには、今後予定されるトレンチ調査等における地層の連続性、細部構造の確認や年代測定の追加などの調査が必要である。
なお、本地区の断層両側の東海層群の標高差は2.5mで、前述の宇賀川南地区の東海層群上面の標高差2.3mとほぼ同等である。