B4地区の地形条件を整理すると以下のようになる。
@ 地形判読による断層変位地形(撓曲崖・低崖)は、平面分布からはボーリングB4−1,B4−2間にあり、北方の断層鞍部(断層露頭を確認)への連続性から見ても、B4−2を越えて方向を大きく東へ振ることはないと考えられる。少なくともB4−2より東には明瞭な崖地形は認められず、この低地に断層が通ることは考えにくい。
A ボーリング断面位置よりやや南方の地形断面測量による地形面の鉛直変位量は約2.5mで、これは側方の沖積扇状地を含んでいない。地層の鉛直変位量は、断層下盤側が多少埋積されている可能性を考慮すると2.5m以上と考えられる。
また、ボーリング地点の地形上の特殊条件を考えると、ボーリングB4−1は沖積扇状地の末端部に位置し、周辺の本来の地形面L1より明らかに高い位置にある。すなわち、B4−1のコアの中には本流河川のL1礫層の他に、側方の沖積扇状地の堆積物も含まれていると見られる。B4−1の上部の土壌分を混じる褐色礫層(深度1.85〜2.80m)がその扇状地礫層に該当すると見られる。
以上の条件から、B4地区の片野断層はボーリングB4−1とB4−2の間を通る可能性が高いと見られる。
以下、断層の活動時期について考察する。
L1礫層上面の鉛直変位量は地形面の傾斜を考慮すると約3.0mである。フラッドロームの下面(砂礫層の上面)の鉛直変位量は約3.8mとなるが、B4−1のコアの上部には扇状地堆積物が含まれており、その上位に堆積するフラッドロームがどのように堆積したか不明のため、真の変位量かどうか不明である。このフラッドロームは断層の上盤側にのみ存在する扇状地堆積物を被うので、全くの水平堆積ではなかったと考えられ、上盤側から堆積して扇状地末端を被い、さらに断層崖を越えて下盤側にも氾濫したか、または上盤側に堆積すると同時に下盤側にも回り込んで堆積した可能性がある。なお、断層変位の後に、断層の両側にフラッドロームが堆積していた例は、布引山地東縁断層帯(北部)の椋本断層(芸濃町)にも見られた(平成10年度調査)。
断層の活動時期はL1礫層の堆積後であることは確実だが、フラッドロームの堆積以前か堆積後かは不明である。
ただし、フラッドロームが元々水平に堆積していた場合には、断層の活動時期はL1礫層の後で、かつ、フラッドローム堆積後である。その場合の断層鉛直変位量はフラッドロームの変位量3.8mに等しい。
このように、本地区の断層の変位量は簡単には決められないが、L1相当の河川堆積物がほぼ水平に堆積したと想定すれば、その上面変位から変位量はおよそ3.0mと推定される。これは付近の地形面の鉛直変位量の2.5mに近い値である。断層の活動時期は、L1礫層の形成年代を約2.5万年前(平成11年度調査)とすれば、約2.5万年前以降である。なお、鉛直変位量2.5mは、断層の延長(平成10年度調査)から経験的に知られる1回当たりの変位量としてはやや大きい。断層活動はほぼ2回(1回当たり1.3m)と考えられるが、確証はない。