(2)B6/露頭調査地点の山口断層−松阪市笹川町

山口断層の露頭剥ぎ調査地点(図2−2−11参照)は平成11年度にスケッチを行い、本年度は崖の上面のボーリング調査(B6)及びB層(黒色土/砂互層)の土壌について年代測定を行った。B層の最下部の黒色土層は、確認した断層の上端部を覆う崩落堆積物の直上にある。

A層は花崗岩風化礫を多数含み、赤色化があまり進んでいないことからM相当の段丘礫層と考えられる。B層は、互層のうち黒色土の年代がいずれも1万年余り前であることから、低位段丘相当のLf層に対比されると見られる。B層の土壌の年代は上位層が最も古く11260±80 yBPで、下位層が10350±250 yBPとなった。一方、M層Aの上面の土壌化部の年代は10280±40 yBPでB層の下位の年代とほぼ同年代である。よって、B層上位層の年代とM層Aの上部の年代は約1000年の差があるものの両者はほぼ同年代と言ってよい。

B層の成因については平成11年度調査で、<ケースa>(斜面堆積)と<ケースb>(水平堆積)の2つのケースがあるとして結論が保留されていた。各々の問題点は、<ケースa>では“互層の傾斜は露頭の左方の崖でもすぐに水平には戻らないことや、各単層の厚さが横方向にあまり変化しない点は、長期間にわたって変化のない堆積環境が維持されていたことを示すもので無理がある”とされていた。一方、<ケースb>では、“互層を傾動させた断層運動の断層面は、段丘礫層を切る断層とは別にあるのか、という問題がある。同じ断層面によってこのような形態を生じるのは無理がある”としている。

<ケースa>も<ケースb>もそれぞれ問題があるが、B層が比較的短期間に形成されたものとすると、<ケースa>の方が問題が少ない。これまでのところ、同露頭ではスケッチされた断層面以外には断層が見つからないことから、<ケースb>のように元々水平な地層を、中位段丘堆積物(M)を切った断層面の動きによってB層(低位扇状地堆積物、Lf)を乱すことなく傾動させることは不可能と思われる。また、B層が元々水平だったとすれば、水成層の可能性が高いが、砂層には明瞭なラミナが見られず淘汰も良くない。また、黒色土壌化が十分でない有機質土壌を4層も挟むといった不自然な点が多い。さらに、B層の互層の一部は水平に近い部分もあり、全体の傾斜を水平に戻せば、その水平部分は逆傾斜になると言う矛盾が生ずる。以上の観点から、B層(低位扇状地堆積物、Lf)は<ケースa>のように、元々傾斜して堆積した斜面堆積物であって、堆積後、断層変位を被っていないと判断される。よって、この露頭では、M層の堆積後、複数回の断層活動があり約5.1m変位したが、Lf層堆積後の変位はないと考えられる。

以下、本年度調査で明らかになった地層の年代値を含めて断層の活動時期を検討する。

中位段丘堆積物(M)の上部の土壌化層の年代は10280±40 yBPで、断層はこれを切っているから、最終活動時期はこの年代以降であるが、上位層の年代がこれに近い(10350±250、11260±80)ため、約1.0万年前頃となる。厳密には互層B層の形成年代が不明のため、約1万年前以降である。

以下、露頭における地層形状の解釈を述べる。

M層を切る断層活動に伴って崖が出現し、露頭中央部のM層上面の崖(横座標5〜6)は侵食によって後退したものと見られる。M層上部やB層の互層の年代が、互いに近い値ながら全く逆転している理由として、M層上盤側の地表面にのっていた古土壌(年代値が1万年余り前)が、表層の若い地層から順次、削剥されて崖下の斜面に堆積したためと考えられる。その際の堆積物の年代は低位段丘を含むLf相当であるが、堆積時期は完新世であった可能性もある。この場合の問題点は、この露頭背後の地形面(Lf面)に断層変位地形が見られ、鉛直変位量が2.1mとされている点である。露頭の上部の互層Bが、元々、斜面堆積で変位していないとしたことと整合しない。したがって、露頭に見られる互層は地形面を構成する低位扇状地堆積物(Lf)ではなく、より新期の完新統(1万年前以降に形成された地層)の可能性が示唆される。