平成11年度の調査の地形・地質調査の結果からは、小山断層は「島田山山麓から東にやや離れた一志層群〜東海層群の境界付近に位置する西上がりの断層」であり、「高位面H1では西上がりの変位地形が明瞭であるが、南方延長方向にある嬉野町島田の中位面Mには変位が認められないことから、中位面以降の活動がない」ものと考えられる。また、一志断層はすべて逆断層であるのに対し、小山断層の断層露頭は正断層であることから、小山断層は更新世以前には正断層を形成する活動があったと考えられる。その後、活動の様式が変わり、更新世以降はH1面にのみ撓曲が見られるので、高位面の時代までは活動したと考えられる。
本年度の反射法探査の結果から、第三紀中新世の地層である一志層群が、地下で大きく撓曲していることがわかった。しかし地層のずれを伴う断層構造は確認できず、表層部における変形構造も確認できなかった。これらのことから、小山断層は、南方の中村川付近ではせん断面が地表に達しておらず、撓曲構造をなすと考えられる。また、小山断層〜鳥戸断層の間の地域では、地殻の水平圧縮の歪みが第三紀層の撓みとして解消されている可能性があるが、付近の第四紀後期の地層および地形に断層変形、変位の明瞭な証拠はない。
2) 鳥戸断層の考察
(1) トレンチT1地点の鳥戸断層−松阪市小阿坂町
トレンチT1では、F1〜F3の断層が確認され、F1断層は中位面M構成層の礫層(C層)と低位面Lf構成層の砂層(B層)を切ることが確認された。断層F2もF1と同様な地層を切る関係が見られる。F3はC層を傾斜、撓曲させており、C層には一部に縦亀裂が生じている。これらの断層と地層の関係によって判断すると、確実に認められる断層活動は「約1.2万年前〜約900年前の間に1回」となる。しかしF3に沿うC層の変形の程度が著しいことは、上記の活動以前の断層活動を強く示唆している。ボーリングB1−4では花崗閃緑岩が礫層に乗り上げる断層が確認されている。断層面付近の地層の破砕度が著しいことは、断層が繰り返し活動したことを示唆する。これらのことから調査地点における断層活動は、中位面Mの形成年代を約8万年前とすれば、「約8万年前〜約900年前の間に2回以上である可能性が高い」と判断できる。
上記の結果にボーリングの調査結果、年代試料の測定結果を併せてさらに考察を行う。トレンチ断面図にボーリングの柱状図を加えて示すと図3−1のようになる。年代測定の結果では、トレンチ内のLf層下部の砂層中の炭化物が12,150±40 yBPで、ボーリングB1−3の古土壌のうち、@深度9.60−9.66mが8,430±40 yBP、A深度7.60−7.70mが15,720±50 yBP、及びB深度6.05−6.15mが15,740±50 yBPである。年代の@は、AとBよりも若く年代が逆転している。また、トレンチ内試料の年代はボーリングコアの@と年代が逆転しており、両者の標高差は約7.0mである。
このように短い距離で地層の年代が逆転していることの説明としては、2通りの可能性が考えられる。一つは、ボーリングB1−3付近がかつて大きく侵食されて谷を形成し、その後、Lf層上部や沖積層相当の地層が埋めた不整合の可能性が考えられる。しかし、トレンチ壁面にはLf層を侵食した谷(不整合)は認められず、不整合でこれを説明することは困難である。もう一つの解釈は、トレンチで見られた逆断層とは別の断層がある可能性である。断層の深部から分岐してトレンチの下を通り、ボーリングB1−3を貫いて東に抜ける低角逆断層によって、相対的に古い地層が新しい地層の上位に積み重なり、層厚が増大した可能性が考えられる。その場合には、断面図からLf構成層下面の鉛直変位量は約9.0mとなる。試料@とAの間に断層が通るとすれば、その活動年代は@の年代以降、すなわち8,430±40 yBP以降となるが、活動回数や最新活動時期は不明である。仮に、Lf層下面の鉛直変位量9mが、ボーリングB1−3の土壌の年代8,430±40 yBP以降に変位したものとすると、最近約1万年以内の変位量としてはかなり大きい。
上に述べた低角逆断層の有無についてさらに検討するため、年代に関する情報を補強する目的で、ボーリングコアの火山灰分析(深度2.80−22.80m)を行った。その結果、深度8.3m以浅の地層から少数ながらATと考えられる火山ガラスが検出され、それ以深では全く検出されなかった。このことから以下のような推論を行った。
8.3m付近より下には、不整合あるいは断層などの地層の不連続が考えられる。8.3m以深に火山ガラスが見られない理由として、それ以下の地層が
(a) ATよりも古い地層
(b) アカホヤAh以前でATよりも相当上位(時代がかなり若い)
の2つの可能性がある。(a)の場合は不整合となり、この時ボーリングコアの@の年代8,430±40 yBPは誤りとなる。(b)の場合は断層の可能性があり、年代@は妥当な値となる。ボーリングコアの試料の年代値が正しいとすれば、(b)のように新しい地層の上に下位の地層が乗り上げた逆断層の可能性が高いと判断される。
上記の検討の結果からは、ボーリング試料の年代値の逆転を説明できるような低角逆断層の存在を結論することはできない。しかし、トレンチ内のLf相当の地層のうち、下部にある礫層B7’が断層の下盤側にあって変形構造が大きいことから、トレンチで見られる断層以外にも断層が存在する可能性が示唆される。一方、空中写真判読によれば、トレンチ地点の南方のMf面(梨畑)には明瞭な撓曲崖があるが、トレンチ地点およびこれより前縁のLf面では、断層の存在を示唆する地形的証拠は認められない。
いずれにしても、ごく近傍で年代の逆転する地層が存在することは、これまでに得られたデータだけでは解釈が困難な問題であるため、今後補足調査を実施することが望まれる。
(2) ボーリングB2地区の鳥戸断層−松阪市伊勢寺町
調査地点においては断層面を直接確認することはできなかった。しかし、各ボーリングの層序を検討したところ、それぞれの地層に鉛直変位が認められ累積性も認められた(表1−2−3)。よって、この地区に活断層が存在することはほぼ確実と考えられる。
鉛直変位量の算出は下記の要領で行った。Lf構成層礫層上面の鉛直変位量は、B2−1とB2−4の標高を用いた。これは断層が撓曲構造をなしていることから、断層面から離れた地点の標高を用いる必要があるためである。Lf構成層礫層上面の鉛直変位量は、B2−1からB2−3までの平均勾配0.4°を用いて補正すると1.4mとなる。
また、Lf構成層礫層下面の鉛直変位量の推定には、B2−1とB2−4の標高を用いた。Lf構成層礫層下面の勾配は、B2−1からB2−3までの平均勾配1.4°を採用した。その結果、Lf構成層礫層の下面の鉛直変位量は4.3mとなる。
M面の下面は、ボーリングによる対比ができないので、地表踏査による周辺の地質分布に基づいて推定した。断層の上盤側のM構成礫層の分布標高は70〜90mであるが、標高70m以下にも分布する可能性がある。また、下盤側のM構成層の下限標高はボーリングB2−4地点で57.6mであるから、M構成層の鉛直変位量は約12m以下と推定される。
3) 山口断層の考察
(1) トレンチT2地点の山口断層−松阪市西野町
トレンチT2地点においては、トレンチ壁面で断層およびそれに関連するような地層の変形などを直接確認することはできなかった。しかし、地質踏査やボーリングからは、トレンチのすぐわきに花崗閃緑岩が一志層群に乗り上げる断層露頭があり、西側のボーリングB3−1では断層面を貫いていることから、トレンチ地点の深部に断層があることは確実である。
図3−2にボーリング、トレンチの結果を総合した断面を示す。トレンチの最上位の泥炭と腐植土層は東に傾斜しながら、ボーリングB3−1からB3−2までほぼ連続していると言える。西側のボーリングB3−1の上位から第2層の腐植土層は、形態上はトレンチの第2層につながるように見えるが、年代値の比較では、むしろ、トレンチの第3層とほぼ同年代である。トレンチの第3層はチャネル堆積物と見られるため、ボーリングの第2層腐植土と同時期であっても矛盾はない。このように、ボーリングB3−1の第2層腐植土がトレンチの第2層に対比されるか、または第3層に対比されるかは明確ではないが、断層はトレンチ最下層の地層を変位させていない可能性が高い。トレンチ最下層の年代値は1280±60 yBPである。
これらのことから、トレンチ直下の断層は、低位段丘相当の礫層Lfを変形させたが、少なくともトレンチT2の最下層の堆積後、約1,300年前以降は活動していないと判断される。
(2) B6/露頭調査地点の山口断層−松阪市笹川町
山口断層の露頭剥ぎ調査地点(図2−2−11参照)では、平成11年度に逆断層露頭を発見し、露頭の詳細スケッチを行った。本年度は崖の上面のボーリング調査(B6)から得られた試料及びB層(黒色土/砂互層)の土壌について年代測定を行った。B層の最下部の黒色土層は、確認した断層の上端部を覆う崩落堆積物の直上にある。
B層の土壌の年代値は上位層が11,260±80 yBP、下位層が10,350±250 yBPで、測定値としては逆転しており、地層の形成年代を厳密には特定できないが、約1万年前に形成された地層であると推定される。
一方、ボーリングによって得られたM面構成層Aの上面の土壌化部の年代値は10,280±40 yBPで、B層の下位の年代値とほぼ同年代を示す。したがってM構成層Aの上部が土壌化した年代とB層の堆積した年代は、きわめて近い可能性が高いと判断できる。M層上部やB層の互層の年代が、互いに近い値ながら逆転している理由としては、M層上盤側の地表面に乗っていた古土壌(年代値が1万年余り前)が、表層の若い地層から順次、削剥されて崖下の斜面に堆積したことが考えられる。
B層に変形が見られるかどうかについては、平成11年度調査で<ケースa>(斜面堆積)と<ケースb>(水平堆積)の2つのケースがあるとして保留していた。各々のケースに問題点があり、同露頭ではスケッチされた断層面以外にはせん断面が見つからないことから、<ケースb>のように元々水平な地層を、M層を切った断層の再活動によってB層(Lf相当)を乱すことなく傾動させることは不可能と思われる。また、B層が元々水平だったことを示す証拠はないので、B層(Lf)は<ケースa>のように、元々傾斜して堆積した斜面堆積物であり、堆積後の変形を被っていないと考えられる。よってこの露頭では、中位段丘堆積物M層は堆積後に断層活動によって約5.1m変位したが、B層(Lf)堆積後の変位はないと考えられる。
露頭に見られる逆断層の活動について、地層の年代値を含めて考察すると、以下のようである。A層は花崗閃緑岩風化礫を多数含み、赤色化があまり進んでいないことから、M面相当の段丘礫層と考えられる。B層は、含まれる黒色土層の年代がいずれも1万年余り前を示すことから、低位段丘相当のLf構成層に対比されると見られる。M層の上部の土壌化層の年代は10,280±40 yBPで、断層はこれを切っているから、最新活動時期はこの年代以降であるが、上位層の年代値がこれに近い(10,350±250 yBP、11,260±80 yBP)ため、断層は約1.0万年前頃となる。ただし、厳密には互層B層の堆積年代が不明のため、約1万年前以降となる。
(3)山口断層の総合所見
露頭調査からは、段丘礫層Lfを変形させ約1.0万年前の土壌化層を切る逆断層が約1.0万年前頃に活動したが、少なくともトレンチT2では約1,300年前以降は活動していないものと判断された。以上の情報は同一地点で得られたものではないが、2つの地点は近傍にあり、地形的におよび露頭で確認された同じ断層線上にある。このことから両地点の情報を総合して断層の活動時期を判断すれば、山口断層の最近の活動は以下のようにまとめられる。
「約1.0万年前頃に活動した可能性が高く、約1,300年前以降の活動はないものと判断される。」
4) 片野断層の考察
(1) ボーリングB4地区の片野断層−松阪市小片野町奥出
B4地区ではL1面上の撓曲崖を挟んで2本のボーリングを実施した。その結果に基づ断層の位置、変位量、活動時期等について検討する。
B4地区の地形判読による断層変位地形(撓曲崖・低崖)は、ボーリングB4−1,B4−2間にあり、北方の断層鞍部(断層露頭を確認)への連続性から見ても、B4−2よりもさらに東側に位置することはないと考えられる。また地形面の鉛直変位量は、ボーリング断面位置よりやや南方でおこなった地形断面測量では約2.5mである。なお地形断面測量の位置には、L1面を覆う沖積扇状地の堆積物は分布していない。
断層の上盤側に位置するB4−1のコアには、L1構成礫層の他に、沖積扇状地の堆積物も含まれている。B4−1の上部の土壌分を混じる褐色礫層(深度1.85〜2.80m)がその沖積扇状地礫層に該当する。沖積扇状地の堆積物の厚さを除けば、B4−1とB4−2におけるL1構成礫層の層厚は、ほぼ同じである。
断層の変位量については、L1構成礫層がほぼ水平に堆積していたとすれば、その上面の比高からおよそ3.0mの鉛直変位が推定される。これは付近の地形面の鉛直変位量の2.5mに近い値である。しかし2本のボーリングにおいて、L1構成礫層の上位にみられるフラッドロームが仮に同一の地層であり、それらも元々水平に堆積していたとすると、断層の活動時期はフラッドローム堆積後となり、鉛直変位量はフラッドロームの変位量3.8mとなる。しかし、フラッドロームが同一の地層であるか、水平堆積していたかは、本調査結果からは判断できず、地形から判断できる累積変位量とも調和しないので、変位量と活動時期を求めるための明確な変位基準とは言えない。
断層の活動時期は、確実な変位の証拠に基づけば、L1構成礫層の堆積以降であり、確実に認められる活動回数は1回である。
したがって本調査では、本地区の断層は、L1構成礫層の形成年代を約2.5万年前(平成11年度調査)として、約2.5万年前以降に1回と判断した。なお鉛直変位量2.5mは、断層の延長(平成10年度調査)から経験的に知られる1回当たりの変位量としてはやや大きい。
(2) トレンチT3地点の片野断層−松阪市小片野町中出
トレンチT3(T3.1、T3.2)とボーリングB5−1〜3の結果を合わせて断面図(図3−3)を作成した。ここで、トレンチT3.2におけるB層は、低位段丘L2構成層を不整合に被い、かつ、年代値が約1万年前後と、明らかにL2より若い地層である。このため、B層は低位段丘L3相当の新期砂礫層と考えられる。
トレンチT3地点においては、L2構成層を切る逆断層がトレンチ壁面に確認され、この断層は上位のL3相当の砂礫層を変形させている。トレンチT3.2の調査結果(各論)では、このL3相当層(フラッドロームを含む)が断層の下盤側にのみ分布するのか(ケース1)、断層の両側に分布するのか(ケース2)について、トレンチT3.2だけでは判断できないとして両論併記とした。以下、両ケースの地質、地形条件について検討する。
@ トレンチ内、及び周辺の地層分布による考察
トレンチT3.2のS面では、L3相当の新期砂礫層下部のB5’〜B4は、トレンチ下部で確認された断層面(横座標3〜4の底部)の直上で屈曲変形し、A層によって覆われる。N面ではB5’、B5,B4とも変形して急傾斜した頂部付近でせん滅し、さらに西側には連続しない。断層の上盤側では、図3−3に示すように、トレンチT3.1(ボーリングB5−1,B5−2を含む)においてもL3相当の新期砂礫層やフラッドロームは全く認められない。このことから、L3相当層の堆積時には、既に西上がりの低断層崖が存在し、B5’〜B4は断層崖の下盤側にのみアバットして堆積したものと解釈される。これはケース1を支持する。
A 微地形による考察
L3相当の砂礫層が断層の上盤側にも堆積していたのであれば、トレンチ地点の上盤の地表よりも地盤高の高い場所がトレンチの西側に存在することになる。しかし、空中写真によるトレンチT3.1及びT3.2周辺の微地形判読によれば、トレンチ周辺や西方で削り残された残丘や旧流路のような地形は認められない。このことはL3相当層が下盤側にのみ堆積した可能性が高いことを示すので、ケース1を支持する。写真判読では、トレンチT3付近の北方のL1面・L2面境界は高低差が少なくやや判別しにくい。このことは、L3相当層はL2面上の低所を埋積するように断層の下盤側にのみ堆積したため、断層崖の比高が減じたことが考えられる。
B 変位量による考察
トレンチT3.2においてL3相当の新期砂礫層は著しく変形しており、その急傾斜した部分の上端と下端の比高は2.7mである。また、断層を挟む2本のボーリングで確認された花崗岩基盤の比高は2.6mである。両者を断層活動による鉛直変位量とみなすと、ほぼ同じ値となり、この限りでは断層変位に累積性が認められない。しかし、L3相当層は断層の上盤側には分布しておらず、花崗岩基盤の標高もボーリングで確認したものであるため、基盤上面の凹凸を考慮すれば、変位量とするにはやや信頼性に乏しい。なお、花崗岩基盤の比高2.6mを鉛直変位量とみなすと、断層延長(平成10年度調査)から経験的に知られる1回の変位量としてはやや大きい。このことは断層活動が複数回ある可能性を示唆し、ケース1を支持するが、明確な根拠ではない。
以上の考察から、トレンチT3付近の断層活動については、トレンチ壁面で観察される断層の活動以前にも断層活動が推定される。すなわち、ケース1のようにL3相当の砂礫層の堆積前に1回、ほぼ堆積終了後に1回の計2回と考えられる。また、トレンチT3.2の地層の分布形態から、断層面はトレンチ壁面で確認された1本のせん断面ではなく、複数のせん断面があると推定される。すなわち、T3.2では壁面のせん断面より西側(C層の屈曲部:座標3/0付近から西傾斜)で断層が変位し、その崖下に新期砂礫層の下部層(B5’〜B4)がアバットして堆積し、B2が堆積した後に壁面で確認されたせん断面によって上位のB2まで変形したと考えられる。
以上のように、T3付近の片野断層では、B2堆積後〜A3形成前に確実に1回の断層活動が認められ、その前のC層堆積後〜B5’堆積前にも断層活動が推定される。すなわち、「約2万年前以降〜約9,800年前に2回活動」と結論される。
(3) L3面の形成過程と断層崖の関係
補足的に、トレンチT3付近のL3面の形成過程と断層崖の保存状況の関係について考察する。トレンチT3.1、T3.2において、L2面構成層の上位に乗る地層のうち、L3相当堆積物B層中のフラッドロームより上位の砂礫層、及びA層中の土壌化層(A3)や黒色土(A2)は、南側に傾斜している。写真判読でもトレンチの位置する段丘面L2の南端部、L3との境界部では地表が南に傾斜していることがわかる。これらの点から、トレンチT3付近はL2面からL3面への漸移帯に相当すると考えられる。L3相当層は、トレンチT3.1〜T3.2をかすめるようにして断層の下盤側に回り込んでL2面上に広く氾濫し、堆積したと推定される。
L3相当層堆積後に生じた断層崖は、現在の地形には明瞭には認められない。これは断層活動後に堆積した砂礫層によって断層崖が侵食され、フラッドロームが堆積した時期には低崖は存在していなかった可能性がある。このことは、トレンチT3.2のN面でA3層が緩やかに東に傾斜するものの、崖地形はなく、一方、S面ではA3層がほとんど水平であることからも裏付けられる。
5) その他−ボーリング調査による各断層の変位量
ボーリング調査による変位量(いずれも鉛直変位)を、既往の空中写真測量や地質踏査の情報も併せて検討した結果を以下の表1−2−3にまとめた。ここでの変位量は地形面の勾配を考慮して補正した数字である。
表1−2−3 ボーリングによる変位量のまとめ