3−1−5 中央構造線と「布引山地東縁断層帯(南部)」の関係

片野断層は櫛田川右岸の段丘面上までは明瞭な断層変位地形が認められるが、中央構造線との境界付近では断層の存在を示す証拠が認められない。この地域にはL3面や沖積面などの時代の新しい地形面が存在しないので、活動度の低い活断層は地形的な証拠を残していない可能性も考えられる。したがって、片野断層が確認された範囲よりもさらに南方に分布するという可能性も否定できない。

鈴木・廣内(1999)は、一志断層系の最南端に当たる片野断層の平均変位速度がその南端部においても小さくならないことを指摘し、中央構造線多気断層の活動との連動性の可能性について言及した。しかし同報告で中位面M1と認定した片野断層の南端部(勢和村片野田郷付近)の地形面について、本調査では現地調査の結果を吟味して高位面H2と判断した。したがってこの段丘面の平均変位速度はやや小さくなるため、本調査結果からは片野断層と多気断層の連動を積極的に示唆するような傾向は確認できない。

中央構造線については、片野断層南方に位置する部分について写真判読と地表踏査を行った。その結果、第四紀後期に中央構造線が活動したという証拠は得られなかった。中央構造線は奈良県の金剛断層以西では活動性が高く右横ずれであるのに対し、本調査地では勢和村朝柄以東の多気断層のみで明瞭となり、一部、左横ずれを示唆するような地形も認められる(伊勢自動車道勢和多気インター北側)。しかし多気断層が真に左横ずれであるか否かについてはさらに検討の余地がある。

片野断層南端部の活動性や、中央構造線の活動との関係については、さらにトレンチ調査などによる具体的かつ詳細な調査を行った上で検討すべきである。