地震痕跡として挙げられているのはいずれも「噴砂」である。一般的に噴砂は必ずしも地震時に生ずる液状化現象のみを原因とするわけではないが、これらの噴砂はいずれも砂脈であり、各資料では地震時に形成されたものと判定されている。なお地震痕跡の時代についての記述はそれぞれの文献中の記載によった。
@ 蔵田遺跡(津市納所町)・・・宮田(1998)による
位置:安濃川左岸、標高7mの沖積平野の微高地
調査年:平成6年度〜8年度
地震痕跡:噴砂
内容:2方向の噴砂
南北方向(N28°E)と南東から北西方向(N14°W〜N54°W)
噴砂の時代:縄文時代後期末〜弥生時代前期
縄文時代晩期(この時期の洪水堆積物の影響が伺える)
A 天白遺跡(嬉野町釜生田)・・・森川(1998)による
位置:中村川左岸
調査年:平成4年度
地震痕跡:噴砂
内容:砂脈の走向N8°W
噴砂の時代:縄文時代後期後半以降(その時代の小穴状の埋土を切る)
B 下沖遺跡(嬉野町宮野)・・・和気(1998)による
位置:中村川沿岸、天白遺跡の上流約2km
調査年:平成3年度
地震痕跡:噴砂
噴砂の時代:縄文時代晩期初頭?
縄文時代後期〜晩期遺構面のある地層を切るが、その上までは噴出しない。
C 小野江甚目遺跡、小野江甚目古墳群(三雲町小野江)・・・大川(1999)による
位置:低地
調査年:平成9年度
地震痕跡:噴砂
内容:噴砂は、下位の砂層より一部の古墳の埋土を切って噴出。主に北西−南東方向に見られた。
噴砂の時代:6世紀以降中世まで。1498年の安濃津を壊滅させた地震か?
これらの結果を総合すると、この地域に噴砂を引き起こした地震の発生時期は、
・ 縄文時代後期
・ 6世紀以降中世まで
の2時期が考えられる。
なお、資料収集のほか、現在発掘中の勢和村片野の遺跡発掘現場を視察したが、調査時点では噴砂等は確認されていない。この遺跡は13世紀後半〜15世紀後半のものであり、耕作土(表層より厚さ20p)の下より柱、石垣等の遺構や土器が出土した。また同じ面から縄文中期末の土器も出土している(平成12年度も引き続き発掘予定であり、報告書は平成12年度調査終了段階で作成予定)。