(1)調査結果の考察

(1) 小山断層の性状

“小山断層”は、「日本の活断層」(活断層研究会編、1980)により記載された名称で、一志町小山付近の一志断層の一部を活断層として認定したものである。それによれば、断層の位置は一志町小山西方の島田山の東麓付近であり、活断層認定の根拠は「山地高度の不連続」である。しかし今回の地表踏査では、この位置には断層露頭や断層変位地形は認められない。山地を構成する礫岩(家城累層Ie)とシルト岩(三ヶ野凝灰質シルト岩砂岩層Im)の侵食抵抗の差が大きいと推定され、「山地高度の不連続」は選択的侵食に起因する傾斜変換線である可能性が高い。したがって本調査では、既存文献に記載された位置に活動的な断層がある証拠は見出されなかった。

一方島田山東麓からやや東に離れた地域では、一志層群と東海層群が50〜65°東に急傾斜していることが踏査結果から確認された。また地形断面測量で付近の高位面H1に6.8mの変位が認められた(図2−13−2参照)。このことから小山断層は島田山山麓からやや離れた一志層群〜東海層群の境界付近に位置する西上がりの断層であると考えられる。これは山田(1958)が一志断層の記載として、“一志層群と奄芸層群(東海層群)の両層の急傾斜帯”との認識を示していることと一致する。また、一志町小山の北方ではENEの走向を持ち北傾斜の逆断層が認められ、北側の一志層群が南側の東海層群に乗り上げている。この構造は一志断層系が南北方向の走向を持つことと一致しない。この断層は一志層群と東海層群の急傾斜帯の構造を切っているが、小山断層との直接の関係は明らかでない。

これらの点をまとめると、小山断層は大局的には一志断層系の延長上に位置し、一志断層系の一部を構成していると考えられるが、これを切る構造も一部には認められる。また小山断層は、高位面H1では変位地形が明瞭であるが、南方延長方向にある嬉野町島田の中位面Mには変位が認められないことから、中位面の形成時代以降の活動がないものと考えられる。

なお、一志町の射撃場付近から嬉野町天花寺にかけて分布する高位面H1は極めて平坦で、段丘面東端のさらに東側に断層が存在し、その西側の地盤が隆起した可能性が示唆される。

(2) 鳥戸断層の活動特性及び山口断層との関係

鳥戸断層に沿っては、各所に比較的明瞭な西上がりの断層変位地形が認められる。同断層は基盤の花崗岩と段丘礫層が接する境界断層である。松阪市伊勢寺町付近に発達する低位段丘相当の扇状地(Lf)は、勾配が1/20〜1/50とかなり東に向かって傾斜している。このような扇状地が発達した要因の一つとして、鳥戸断層の活動が関与している可能性も考えられる。

鳥戸断層の南部、堀坂川以南は断層変位地形が分布するさらに東側にも花崗岩と一志層群が接する西上がりの断層が確認されたが、この断層はH1面に変位を与えていない。東側の断層は高位面H1形成以前まで活動していたものの、その後活動の場が西に移動した可能性がある。

また松阪市西野町付近では鳥戸断層の南端部と山口断層は一部併走するような位置関係にあるが、鳥戸断層の南端部の東側にも基盤の花崗岩類が地表に分布しており、二つの断層が全体として西上がりの傾向であることと一致しない。すなわち、花崗岩の分布高度から見れば西側の山口断層と東側の鳥戸断層南部の間の区域は、花崗岩の分布高度が相対的に低い“地溝”状の構造をなしている。しかし鳥戸断層南部の断層変位も西上がりであるので基盤岩の分布傾向とは一致しない。

(3)山口断層の活動

山口断層では比較的明瞭な西上がりの断層変位地形がみられるが、確認できる延長は短く、北方の鳥戸断層及び南方の六呂木断層との連続性は明瞭ではない。松阪市笹川町高畑西方では、花崗岩が低位段丘堆積物相当の礫層にのしあがる低角逆断層の露頭が確認された。今回の調査ではこの露頭で断層の活動履歴の詳細を確認することはできなかったが、この断層は変位が比較的新しい時代にも継続し、変位量の大きさからみて活動の累積性がある可能性も高いので、今後の詳細な調査が必要である。

(4) 六呂木〜片野断層の連続性

「新編日本の活断層」(活断層研究会編、1991)では、六呂木断層と片野断層を別の断層として扱っている。しかし今回の調査では、写真判読からも地質踏査からも、六呂木断層が片野断層と連続しないで、松阪市六呂木町上出付近から南西方向へ延びるという根拠は得られなかった。六呂木断層は松阪市六呂木町を経て同市小片野町で片野断層に連続する断層である可能性がある。

(5) 中央構造線と「布引山地東縁断層帯(南部)」の関係

片野断層は櫛田川右岸の段丘面上までは明瞭な断層変位地形が認められるが、中央構造線との境界付近では断層の存在を示す証拠が認められない。この地域にはL3面や沖積面などの時代の新しい地形面が存在しないので、活動度の低い活断層は地形的な証拠を残していない可能性も考えられる。したがって、片野断層が確認された範囲よりもさらに南方に分布するという可能性も否定できない。

鈴木・廣内(1999)は、一志断層系の最南端に当たる片野断層の平均変位速度がその南端部においても小さくならない傾向を示すことを指摘し、中央構造線多気断層の活動との連動性の可能性について言及した。しかし同報告で中位面M1と認定した片野断層の南端部(勢和村片野田郷付近)の地形面について、本調査では現地調査の結果を吟味して高位面H2と判断した。したがってこの段丘面の平均変位速度はやや小さくなるため、本調査結果からは片野断層と多気断層の連動を積極的に示唆するような傾向は確認できない。

また、中央構造線は奈良県の金剛断層以西では活動性が高く右横ずれであるのに対し、本調査地では一部、左横ずれを示唆するような地形的特徴もみられる。しかし本調査の写真判読、地質踏査によれば、多気断層が真に左横ずれである確証は得られなかった。

片野断層南端部の活動性や、中央構造線の活動との関係については、さらにトレンチ調査などによる具体的な調査を行った上で検討すべきである。