(2)古文書および古地震関係文献

三重県内に被害を及ぼした、古地震に関する記述のある代表的な文献には、近年刊行されたものでは以下のようなものがある。

@ 総理府地震調査研究推進本部地震調査委員会編(1997):「日本の地震活動」

A 宇佐美(1995):「新編日本被害地震総覧」(CD−ROM版は1997)

B 多度町教育委員会編(1995):「多度町史−自然−」

C 武者金吉(1995):「日本地震史料」

D 国立防災科学技術センター編(1981):「紀伊半島地震津波資料」

表2−1−2に三重県及びその周辺の陸域を震源とする被害地震についてまとめた。各文献は引用の原典である古文書の名が記されているが、ここでは省略する。

参考のため、最も多くの事例を網羅している宇佐美(1997)を用いて、三重県及び周辺を震源とする陸域・海域すべての被害地震を検索した。その結果を表2−1−3−1表2−1−3−2表2−1−3−3表2−1−3−4に示す。このうち、No.2、11、19、20、27、32は西暦1500年以前の海域に震源を持つ巨大地震である。

上記以外の古文書を検索するために伊勢神宮の神宮文庫へ赴き、古文書の閲覧を実施したが、新たな知見は得られなかった。唯一、「大日本地震史料」(震災予防調査会、1904)が所蔵されており、表2−1−3−1表2−1−3−2表2−1−3−3表2−1−3−4に収録されていない伊勢地域の地震の記録があった(図2−1−1の資料)。同資料(抜粋)には

・ 應永7年10月24日(西暦1400年)−伊勢國地強ク震ウ…

・ 永享5年1月24日(西暦1433年)−伊勢、近江二國、地大ニ震ウ、是日京都モ震ヘリ…

と記載されているが、これらは被害についての記録がなく、地震規模や地震の全体像は不明である。

以上の調査から、中世の鈴鹿〜伊勢地域の地震災害の記録は少ないことがわかった。中世は場所によらず地震災害の少ない時期であったとも言われている。また、今回の調査では、調査地の布引山地東縁地域の活断層に起因したと見られる歴史地震は見出せなかった。

表2−1−2 三重県及び周辺地域の陸域を震源とする主な被害地震

図2−1−1 「大日本地震史料」(震災予防調査会、1904)の抜粋

表2−1−3−1 三重県周辺地域における被害地震一覧その1−「新編日本被害地震総覧」(宇佐美、1997、CD−ROM版)

表2−1−3−2 三重県周辺地域における被害地震一覧その2−「新編日本被害地震総覧」(宇佐美、1997、CD−ROM版)

表2−1−3−3 三重県周辺地域における被害地震一覧その3 −「新編日本被害地震総覧」(宇佐美、1997、CD−ROM版)

表2−1−3−4 三重県周辺地域における被害地震一覧その4−「新編日本被害地震総覧」(宇佐美、1997、CD−ROM版)

(注) 以上の表は、三重県を中心とした東経134.0〜138.5°、北緯32〜36°に震源を有する、M≧5.0の条件で検索した被害地震である。