6−3−2 トレンチ法面の地質

地質概要

本トレンチ法面では,礫・砂・シルトから成る札的内川の沖積堆積物が観察できる(図6−5図6−6).これらは,主として札的内川の氾濫によってもたらされたシルト・礫互層,旧河道を埋積したチャネル充填礫層,旧河道に沿って発達した砂礫州(縦州あるいは突州)堆積物から成り,構成物の特徴・堆積構造などから8層に細分される(表6−8).このような堆積物は,必ずしも上下に垂直に積み重なったものばかりではない.このため,地層の構造がテクトニックな活動によってできたものか,初生的な堆積構造かの判断の難しい場合が多い.

主として河川の氾濫によって堆積したシルト質の堆積物を含む最下位地層(第1層)は,トレンチ北西側(撓曲崖の上方側[S0−30],[N0−29])に分布し,南東側に緩やかに傾くように分布する.トレンチ中央部([S30−43],[N29−45])は礫主体の地層から成り,斜交層理の発達する砂礫層(第2層)や,これを切るチャネル充填礫層(第3層)が分布している.第1層や第2層,第3層は,上位のチャネル充填礫層(2 x ,3 x ,5b,5c,5d)によって切られ覆われている.最も下方側にあたる[S43−50],[N45−50]付近には,ほぼ水平に成層したシルト層(第4層)と礫層(5a)が分布する.以上の地層を覆って,薄いシルト層(第7層,第8層)が認められる.

断層変位地形と関連して,注目されたのは2つの構造である.一つは,礫主体の部分と下方側のシルト層・礫層との境界部,[S42−44],[N43−45]にみられる地層の不連続である(写真6−2写真6−3).ここでは,シルト層(4b)が,上方側から下方側へ80〜120cm程度ずれあがり,逆断層のように見える.もう一つは,[S16−30]と[N22−33]区間の第1層や第2層が南東側に撓み下がったように見える現象である.これらの現象については,堆積物の性格から,構造的なもの(逆断層または撓曲)であるか,初生的な堆積構造であるかの判断が難しい.

なお,掘削によって明らかになった堆積物の分布形態はIP比抵抗映像法・極浅層反射法探査結果と良い一致を見せた.

堆積物の記載・堆積環境・年代

第1層や第4層のシルト層は,主として河川の氾濫によって河道の周辺に堆積した広い意味での氾濫原堆積物である.第1層(1a)のシルト層は全体としてマッシブで,弱い平行ラミナや小規模な(セットの厚さ数cmオーダ)斜交ラミナが見られる.第1層(1a)は上方側から下方側に緩やかに傾き,[S16−30]では大きく(10°前後)撓むように見える.これらは下方側に数10cmオーダの斜交ラミナをもつ砂礫層(1b)へと変化する.この地層の一部は[N25−26]付近で南東側落ちの数cmの変位を示す小規模な正断層によって変位している.第4層(4b)のシルト層は,小規模なリップル斜交ラミナとマッシブな部分との互層から成り,僅かに南東側に傾く.

中央部に分布する第2層(2a,2b)は,主として数10cmオーダの平板型(一部トラフ型)斜交ラミナをもつ砂礫層から成り,上部に有機質土(腐食土)を挟む砂層・シルト層(2d)を含む.これらの部分は,河川の砂礫州の側方付加堆積物と考えられる.この砂層・シルト層(2d)は,[S27−30]と[N31−33]付近で南東側に向かって傾き,上位のチャネル充填礫層に切られながらも比較的よく連続した分布を示す.この地層の一部は,[S28−29]付近で数cmの変位を示す小規模な堆積同時的正断層によって変位している.堆積構造や形態が不明瞭なので,はっきりはしないが,第4層や第5層の一部(4a,4d,5a)も砂礫州の堆積物の可能性がある.第2層(2d)の腐植土からは,2,360±50yBPの14C年代(AMS法)が得られている.

チャネル充填礫層と呼ぶものは,下位層を削り込み,下に凸な形態をした中礫を主とする礫層であり,旧河道部を充填した礫層と考えられる.トレンチ起点側で見られる第2層(2 x )や第3層(3 x ),中央部の第2層(2c)や第5層(5b,5c,5d)がその代表的な例であり,下限は不明瞭であるが,第2層を切る第3層(3)もこれに相当するとみられる.トレンチでみる限り,チャネルはトレンチを南南西−北北東から西−東方向に横切る方向に発達している.チャネル充填礫層の一部(2c)は,側方へ数10cmオーダの斜交層理をもつ上述の砂礫層に移化している.第3層の木片からは1,920±60yBPの14C年代(ベータ法)を得ており,現在から2,000年ほど前に堆積した地層と考えられる.

以上の地層を覆って薄いシルト質堆積物(第6層,第7層)が,認められる.第7層には比較的粗粒な炭質物や礫を含むことから,氾濫に伴うイベント的な堆積物と考えられる.この地層はトレンチ南東端側の不連続面を切ってそれを覆っており,含まれる木片(2試料)は,220±60yBPと240±50yBPの14C年代(AMS法)を示し,およそ現在よりも200〜300年ほど前の地層とみられる.

第1層および第4層から採取した花粉試料S6−1・S14−1・S14−4・S43−1・N45−2は,コナラ属を除いた冷温帯広葉樹を含み,グイマツを含まないことから,完新世の8,000年前(グイマツ絶滅期:五十嵐,1996)以降の堆積物と推定される.しかし,北海道全域で8,000年前以降に優勢となるコナラ属(五十嵐,1986)が産出しないこと,および針葉樹の頻度が高いことから,冷涼期と推定される.また,河川流域にシダの茂る湿原が存在したことが推定される.また,周辺丘陵の森は,コナラ属を含まない針広混交林であった.

第4層から採取したN47−2,第7層から産出したN47−1は冷温帯広葉樹を含み,グイマツを含まないことから,前述の5試料同様,完新世の8,000年前以降の堆積物と推定されるが,コナラ属が7〜15%産出することなどから,現在と同程度の温暖・湿潤な気候が推定され,上記の冷涼期とは区別できる.