石田・山田・伊東(1981)は宇治川断層の南側,城陽市第3浄水場建設(標高14~15m)で,7m深さの材(コナラ)が約3,500年前,深さ13mの礫層中の材(カシ,ムクロジュ,ムクノキ)も約4,000年前であった.後者が礫層中から産出したことから,礫層形成年代と判断するのか,より古い礫層を洗掘して,堆積したものか,検討の余地があるとしている.産出した材と年代値から4,000~5,000年前の縄文時代中?後期のシイ?カシが繁茂する時代で,現在とほぼ同じ程度の暖かさであった推定している.
岡田(1997)は,巨椋池で長さ10m弱の4本の地質ボーリング資料とビット資料から花粉分析を行った.この内,巨椋池南部のB地点(標高8.8m)で,深さ5.2m以深の花粉分析から,アカガシ亜属優勢の林が広がっていたとしている.この層準以深は砂層が,以浅は粘土層が分布し,その時代を水田耕作(弥生時代前期)以前と推定した.B地点の深さ6.3~6.6m(標高2.5~2.2m)から4,250±120y.B.P.,深さ10.15~10.45m(標高1.35~1.65m)から5,910±140y.B.P.の炭素年代値を,報告している.
「粘土〜シルト層が現在の巨椋池での堆積物であり,炭素年代値との関係からB地点での湿地化((巨椋池の形成)は,4,250年前より,少し新しい時代と解釈される.また,既に述べたように,宇治川断層上盤側での石田(1976)の報告では,標高4.2mで含まれる材の年代値は4,910±90y.B.P.である.両者の共に砂層で,ほぼ大きな起伏もなく堆積した後,宇治川断層で標高差が生じたと仮定すると,変位量は2~3m程度と思われる)「」内は著者の解釈.
植村・松原(1997)は,京都盆地西部桂川右岸の長岡京付近の低地部で,ボーリングコアの試料分析から,完新世の環境変化を論じている.この中で,標高8.1mに古墳期の水田面が,標高3mにK−Ah火山灰(鬼界?アカホヤ火山灰)が識別されている.この箇所は宇治川断層上盤側に位置する.
文献
(1)石田志朗(1997):近畿地区「京都」. 基礎工・主要都市およびその周辺の地盤特性と基礎工法,95−103.
(2)石田志朗,山田 治,伊東隆夫(1981):城陽市第3浄水場建設に伴う樹幹の出土.城陽市埋蔵文化財調査報告書第10集,城陽市教育委員会,51−58.
(3)植村博善,松原 久(1997):長岡京域低地部における完新世の古環境復原.桑原公徳編「歴史地理学地籍図」,ナカニシヤ出版,211−221.
(4)岡田優子(1997):京都府南部巨椋池堆積物の花粉化石組成に見られる人為的影響−アカガシ亜属の減少とイネ属の増加−.第四紀研究,36,207−213.