3−1−2 地質層序に関する文献整理

宇治川右岸近くの伏見下水道処理場で深さ約13mの基礎工事掘削が行われた.石田(1976)が詳細に観察し,炭素年代測定を含め地質柱状図を報告している(図3−1−1).記載がないが,「図の記載から次のことが読み取れる.深度約10m以浅は約1万年以降の完新統(沖積層)である.沖積層は下位に砂層,中部・上部にシルト〜砂層の互層からなる.中部の深度約7.5m(標高3.2m)には5~6cm層厚の火山灰が記載されている.K−Ah火山灰と思われる.詳細に見ると,深さ9m+付近(炭素年代8,520年前)以浅で砂層中の淡水成の粘土層が増え,礫が極端に少なくなる.深さ約4mまで砂層と粘土の互層で,その年代は約3,000年前と推定される.ここには腐植物材等を多く含む,それより浅部では灰色シルトが卓越し,巨椋池に関連する湖沼成堆積物と考えられる.一方,10m以深,13mまでは,1万2千年前の材化石(クリ)を含む後期更新世の河成砂礫層と推定される.このことから,約2万年前をピークとする最終氷期から気候の温暖化と共に海面が上昇し,河川の運搬能力が減退して1万ないし,9千年前を境に横大路付近には砂利を流す川がなくなった.湿地となって,泥の堆積環境に変わり,洪水時に砂が供給された.標高約3.7m弱の砂層にはイチイガシなどの常緑カシの葉が多く,温暖帯の気候であったことが,読み取れる」「」内は,著者の解釈.

石田・山田・伊東(1981)は宇治川断層の南側,城陽市第3浄水場建設(標高14~15m)で,7m深さの材(コナラ)が約3,500年前,深さ13mの礫層中の材(カシ,ムクロジュ,ムクノキ)も約4,000年前であった.後者が礫層中から産出したことから,礫層形成年代と判断するのか,より古い礫層を洗掘して,堆積したものか,検討の余地があるとしている.産出した材と年代値から4,000~5,000年前の縄文時代中?後期のシイ?カシが繁茂する時代で,現在とほぼ同じ程度の暖かさであった推定している.

岡田(1997)は,巨椋池で長さ10m弱の4本の地質ボーリング資料とビット資料から花粉分析を行った.この内,巨椋池南部のB地点(標高8.8m)で,深さ5.2m以深の花粉分析から,アカガシ亜属優勢の林が広がっていたとしている.この層準以深は砂層が,以浅は粘土層が分布し,その時代を水田耕作(弥生時代前期)以前と推定した.B地点の深さ6.3~6.6m(標高2.5~2.2m)から4,250±120y.B.P.,深さ10.15~10.45m(標高1.35~1.65m)から5,910±140y.B.P.の炭素年代値を,報告している.

「粘土〜シルト層が現在の巨椋池での堆積物であり,炭素年代値との関係からB地点での湿地化((巨椋池の形成)は,4,250年前より,少し新しい時代と解釈される.また,既に述べたように,宇治川断層上盤側での石田(1976)の報告では,標高4.2mで含まれる材の年代値は4,910±90y.B.P.である.両者の共に砂層で,ほぼ大きな起伏もなく堆積した後,宇治川断層で標高差が生じたと仮定すると,変位量は2~3m程度と思われる)「」内は著者の解釈.

植村・松原(1997)は,京都盆地西部桂川右岸の長岡京付近の低地部で,ボーリングコアの試料分析から,完新世の環境変化を論じている.この中で,標高8.1mに古墳期の水田面が,標高3mにK−Ah火山灰(鬼界?アカホヤ火山灰)が識別されている.この箇所は宇治川断層上盤側に位置する.

文献

(1)石田志朗(1997):近畿地区「京都」. 基礎工・主要都市およびその周辺の地盤特性と基礎工法,95−103. 

(2)石田志朗,山田 治,伊東隆夫(1981):城陽市第3浄水場建設に伴う樹幹の出土.城陽市埋蔵文化財調査報告書第10集,城陽市教育委員会,51−58.

(3)植村博善,松原 久(1997):長岡京域低地部における完新世の古環境復原.桑原公徳編「歴史地理学地籍図」,ナカニシヤ出版,211−221.

(4)岡田優子(1997):京都府南部巨椋池堆積物の花粉化石組成に見られる人為的影響−アカガシ亜属の減少とイネ属の増加−.第四紀研究,36,207−213.