6−4−4 花折断層との関係

桃山断層は花折断層の南に位置する。花折断層は比較的明瞭なリニアメントが判読され,さらに河谷の右横ずれも卓越し,A級の活動度をもつ可能性も指摘されている(吉岡,1986)。また,花折断層北部では平成8年度に実施された地質調査所のトレンチ発掘調査の結果,途中谷地域において最終活動時期が15世紀〜17世紀頃と考えられ,1662年(寛文2年)の寛文地震に相当する可能性が指摘されている(吉岡ほか,1998)。

一方,花折断層の南部では,北白川において,約2,500年前の腐植土層を切り古墳時代ないし平安時代と推定された土壌に覆われる逆断層露頭が報告されている(石田,1967)。さらに,大原以南には平安時代からの寺社が多数存在するが,1662年の寛文地震時には特に被害は記録されておらず,寛文地震時には大原以南の断層は活動しなっかたと推定されている(木村ほか,1998,吉岡ほか,1998)。

この様に,花折断層は北部と南部で活動の歴史が異なる。

さらに,南の桃山断層との関係については以下のように考えられる。

地質調査所の5万分の1地質図幅「京都東北部地域の地質」(木村ほか,1998)によると,花折断層の南端部は吉田山付近まで明瞭な変位地形が認められ,南の丸太町通りでも浅層反射法弾性波探査によって大阪層群(吉田山礫層)に撓曲変形が認められるとされている。すなわち,吉田山以南では低位段丘面に変位地形は認められないが,下位の大阪層群は変形しているということである。

今回調査を行った桃山断層では,先に述べたように,大阪層群から低位段丘にいたる地層が変形していることが判明した。

これらを考え合わせると,大阪層群を変形させた断層運動は,北側の花折断層から桃山断層まで連続する可能性はあるが,低位段丘を変形させる断層運動については,吉田山の南,岡崎付近で途切れると考えられる。さらに,北側の花折断層では明瞭な変位地形である低断層崖が認められるのに対し,南側の桃山断層では不明瞭な撓曲崖のみである。

これは,断層運動の様式が異なっていることを示している。すなわち,低位段丘が形成されてから以降(最近数万年間),花折断層と桃山断層は活動様式が異なる可能性が指摘できる。