尾池(2001)(35)は「京都及び隣国の地震:洛中洛外の土蔵のほとんど被害を受けたが、民家の倒潰はほとんどなかった。御所・二条城などで被害。京都での死280。上下動が強く、余震が非常に多かった。鳴動あるいは弱い地震で始まった。丹波亀山(現亀岡市)では城中はたいしたことはなかったが、崩家41、死4、傷5」と文献調査から同地震の被害を記述している。
松田(1990)(1)もこの地震と京都西山断層群、三峠断層群との関係を推定している。
しかし、この地震と活断層との関係についての証拠や詳しいことは何も分かっていない。