@ 更新統
1) 砥川溶岩
砥川溶岩は、益城町砥川から下鶴にかけてのみ分布する。当地域の砥川熔岩は均一な暗灰色を呈し、空隙が比較的多く、肉眼観察では斑晶がほとんど見られない。下鶴においては、砥川熔岩に柱状節理が良く発達している(loc.MK26)。また砥川南方の谷に露出する砥川熔岩は空隙率が極端に多く節理も多いことから、熔岩の最上部付近であると推測される。
2) 阿蘇3火砕流堆積物
阿蘇3火砕流堆積物は、御船町片志和(loc.M27)、上高野(loc.M28)、下高野(loc.M29)の谷筋に局所的に分布する。本火砕流堆積物は、暗灰色の火山灰質粗粒砂を基質として黒色のスコリアを含むのが特徴である(loc.M27)(写真5)。北部地域の阿蘇3火砕流堆積物は非熔結であるが、比較的固結度が高い。御船町片志和における露出層厚は約4mであり、阿蘇3・4間堆積物に明瞭な不整合面をもって覆われるが(写真4)、阿蘇3・4間堆積物と阿蘇3火砕流堆積物との間に時間間隙を示すような堆積物等は見られない。阿蘇3火砕流の噴出年代については、松本ほか(1991)により123±6kaのK−Ar年代値が報告されている。
3) 阿蘇3・4間堆積物
阿蘇3・4間堆積物は御船町片志和、上高野、下高野において阿蘇3火砕流堆積物の上位に分布するが、これらの地区や城南町土鹿野(loc.H1)において阿蘇4火砕流堆積物に覆われる。各露頭間で堆積物の層相に違いはあるが、大局的には火山灰質の中粒砂を主体として、阿蘇3火砕流堆積物起源と推測されるスコリアの細礫〜中礫を多く含む。大露頭で観察することができる片志和(loc.M27)においては本堆積物には明瞭な層理が発達する(写真6)。各露頭の特徴として、下高野、上高野地区では本堆積物は赤褐色の礫混じりシルトを主体とするが、土鹿野では淘汰の良い亜円礫の中礫層よりなり、阿蘇4火砕流堆積物との境界面で湧水が見られる(loc.H1)。
4) 阿蘇4火砕流堆積物
阿蘇4火砕流堆積物は、北部調査地域のほぼ全域にわたって分布する。しかし、阿蘇4火砕流堆積物が開析を免れ、阿蘇4面として台地を形成している地域は、豊野村、城南町および甲佐町である。阿蘇4火砕流の台地面は、豊野村においては標高80〜60m前後から沖積面下に至り、城南町から甲佐町においては標高40m前後から、北部に向かって開析を受けながら除々に標高を落とす。そして緑川より北の地域ではM面堆積物に被覆されるようになる。阿蘇4火砕流堆積物の層厚は、最も厚い豊野村山崎の台地においておよそ30m程度と推測される(図2−2−2−3B−B’断面図参照)。
調査地域の阿蘇4火砕流堆積物は、非熔結から強熔結の灰色堆積物と、鮮やかなオレンジ色を呈し豆石を多く含む堆積物から成る。前者は調査地全般に見られ、灰色の火山灰を基質として発砲の良い軽石を含むが、豊野村小畑から寺村にかけては熔結部も見られ、黒色の本質レンズが確認できる(loc.T19)(写真7)。後者のオレンジ色の堆積物は豆石を多量に含むこと(loc.T26)(写真8)や、密度が軽いことなどから鳥栖オレンジ軽石流堆積物に対比されるものと推測される。また豊野村北山崎における本堆積物は御船層群上部層を直接覆う(loc.T45)(写真9)。阿蘇4火砕流の噴出年代については、松本ほか(1991)により、89±7kaのK−Ar年代値が報告されている。
5) M面堆積物
本調査地域内のM面堆積物は、甲佐町以北に見られ、最も広範囲で連続性の良い面を形成している。本堆積物は、阿蘇4火砕流堆積物を明瞭な境界面をもって覆うが、境界面には阿蘇4火砕流とM面堆積物との間の時間間隙を示唆するようなものは認められない(loc.M37)(写真10)。このことからM面の堆積は阿蘇4火砕流堆積物の堆積直後に始まったものであると推測される。M面堆積物の全般的な特徴として、阿蘇4火砕流堆積物起源の軽石を含み、層理が発達する。本堆積物により構成されるM面(地形概要参照)は、南から北へ向かって堆積物の粒度が増す傾向があり、またM面堆積物の基底面の標高も南が高く、北が低い傾向が認められる(図2−2−2−3断面図B−B’参照)。
なお、本堆積物は以下の2つの区間に分けて説明し、さらに断層運動と関連した可能性が高い露頭について述べる。
ア. 緑川右岸から御船川にかけてのM面堆積物
本区間におけるM面堆積物は、標高35m前後の平坦面を形成している。地表踏査により、本層の層厚は20m前後と推測される(図2−2−2−3断面図B−B’参照)。本区間のM面堆積物は、下部から上部へ向かって火山岩と阿蘇4火砕流堆積物起源と思われる軽石の中礫を含む中粒砂、白砂層と亜角礫の中礫層による互層、粗粒黒色砂層と中礫層の互層、軽石礫を多く含む中礫層などが重なる。このうち粗粒黒色砂層には鮮やかな橙褐色を呈する径1〜2pの軽石層が確認できる。この橙褐色軽石は、loc.M2露頭において最も濃集され(写真12)、loc.M5では細礫〜中礫による斜交層理の前置面に配列するなど、各露頭間で挟まれる層相は異なるが、黒色砂層と橙褐色軽石の組み合わせをこの区間におけるM面堆積物の鍵層として断面図に加えた(断面図B−B’参照)。
断面図には断面線上の露頭における本堆積物の層理面の走向および傾斜の変化を示した。このうち本堆積物の撓曲が推測されるのは御船町メロディー橋に至る道路を挟むloc.M2露頭(写真11)とloc.M4露頭の間であり、地形判読結果ではこの道路にBランクのリニアメントが判読されている。
イ. 御船川以北のM面堆積物
本区間におけるM面堆積物は、標高40〜50mにおいて平坦面を形成している。loc.M40、loc.M58、LocMK12の各露頭における地層の走向、傾斜はそれぞれN80゜W13゜NE、N50゜E24゜NW、N62゜E6゜NW であり、全体として緩やかな北傾斜を示す。また、御船町片志和の北(loc.M37)において本堆積物はロームに覆われている。本区間における本堆積物は下部より、細礫を基質として火山岩や軽石の亜角礫を含む中礫混じり細礫・粗粒砂層、礫質砂層、火山岩や軽石に加えて御船層群の赤紫色泥岩礫が多く含まれる中礫(写真13)および大礫層から構成される(loc.M37)。本区間のM面堆積物は、他の区間に比べて上部付近の礫の粒度が大きく(loc.M58)(写真14)、御船層群由来の礫の含有率が高いことが特徴である。地表踏査による本区間の本堆積物の層厚は上高野付近で15m前後である。
ウ. M面堆積物の露頭のなかで過去の断層運動と関連した可能性が高い露頭
以上がM面堆積物の概要であるが、M面堆積物の露頭のなかで断層運動と関連して形成された可能性が高いと思われる露頭を紹介する。
御船町高木(loc.M42)において観察される露頭の写真ならびにスケッチを(写真15、写真16、写真17)および図2−2−2−1に示す。本露頭は、原子力開発機構による高木トレンチ掘削地点より北方に約100m隔てたM面である。
本露頭においては3つの地質が認められる。見かけの下位より、赤褐色を呈する未固結のシルト、固結度の高い灰白色の砂、基質支持ぎみの角礫などが重なる。これらの地質境界はすべて明瞭である。このうち、固結度の高い灰白色の砂には、写真15の右中において明瞭な破断面が認められる。(写真16)にその近影を挙げるが、破断面はN20゜E54゜Wを示し、約3pの幅をもって開口しており、下位の未固結シルトによって充填されている。また、流動変形も認められる(写真17)。
6) L面堆積物
L面堆積物は調査地域全般にわたってみられる砂礫主体の地層である。踏査では地形判読結果を基礎として、L面露頭の分布高度ならびに層相からL1、L2、L3 の各堆積物に区分した。L1、L2、L3の各面の分布高度は調査地の南から北へ向かって次第に低くなり、また緑川両岸周辺(甲佐町および御船町南部)においてはL面の発達はみられない。
以下に各堆積物の特徴を述べる。
ア. L1面堆積物
L1面堆積物は、全般的にローム質の基質に富む砂礫から成り、新期ロームに覆われる。本堆積物は、豊野村南部の県道下郷・北新田線沿い(loc.T3、loc.T5、loc.T13)や、御船町片志和(loc.M27)、下高野(loc.M56)ならびに御船町高山(loc.39、loc.68)に分布する。その分布高度は、豊野村において標高90〜60mであり、阿蘇4火砕流台地面縁辺や白岩山山麓に平坦面を形成している。一方、御船町においては標高45〜35mであり、山麓裾部やM面の段丘縁辺に見られる。豊野村におけるL1面堆積物は、阿蘇4火砕流堆積物を覆ってロームに覆われるが、御船町片志和(loc.M27)におけるL1面堆積物は阿蘇3・4間堆積物を覆い新期ロームに覆われている。
L1面堆積物を構成する礫は、後背の基盤岩を顕著に反映した礫で構成されており、豊野村においては肥後変成岩類の片麻岩や結晶質石灰岩の礫(写真18)(loc.T5)、御船町においては御船層群起源と思われる堆積岩の礫や、阿蘇火砕流起源と思われる軽石ならびに各種火山岩礫が認められる。露頭において確認される本堆積物の層厚は豊野村loc.T13において約1.5mである。
イ. L2面堆積物
L2面堆積物は、全般にロームおよびローム様の細粒砂を基質とする基質支持ぎみの砂礫であり、土壌に覆われる。本堆積物は、L面堆積物のなかで最も広範囲に分布する堆積物であり、代表的露頭として、豊野村下郷(loc.T27、loc.T37)、益城町小池(loc.MK8、loc.MK9、loc.MK21)が挙げられる。本堆積物は、比較的連続の良い平坦面を形成しており、その分布高度は、豊野村において標高55〜35m前後に、城南町においては標高30m前後、さらに御船町や益城町においては標高30〜20m前後である。本層は火山灰質で、角閃石などの自形結晶を含む基質(ローム)に富むために、堆積物全体としては茶褐色を呈する。このように本層が、全般にローム質であることはL1面堆積物の特徴と共通である。しかしながら豊野地区における本層の中上部は、層厚2mを越える均質な砂よりなり、原地性(in situ)の植物が酸化鉄や粘土鉱物で交代された構造が多く認められ、同地区内におけるL2面堆積物を特徴づけるものである(loc.T27、loc.37)。露頭において確認される本堆積物の層厚は、御船町下高野(loc.M56)において約2.5mである。
ウ. L3面堆積物
L3面堆積物は、沖積低地を除く各堆積面の最も低い平坦面を形成し、調査地域の全域に認められる。その分布は、豊野村において標高50〜30m前後(loc.T50)、城南町において標高25m前後(loc.J2、loc.J3)、御船町および益城町において標高約15m前後に見られる(露頭なし)。本堆積物は現在、ほ場整備や宅地造成等により改変され露頭も少ないが、豊野村においては角礫層、城南町においては亜円礫による礫支持の中礫層であり、御船層群の赤紫色泥岩を直接覆う(loc.J3)。露頭で確認される層厚は約1mである(loc.J2、loc.J3)。また、淡褐色の表土が、本堆積物を覆うが、全般的にかなり薄いことが多い。
A 完新統
1)沖積層および崖錐堆積物
沖積層は、現河床沿いならびに平野に分布する。河床沿いでは甲佐町緑川左岸の津志田河川自然公園周辺の河岸浸食崖として露出しており(loc.C1)、礫支持の中礫層および粗粒砂層からなり、層厚は3mを越える(写真21)。
また、九州縦貫道工事に伴う日本道路公団のボーリング資料によると上記(loc.C1)露頭より約300m下流に位置する緑川橋周辺において沖積層は、 標高10〜−10mにかけて層厚約20mを有する。