大楠山を中心として丘陵の浸食小起伏面が残っている。大楠山(標高241.3m)から西方へ高度を減じて長者ヶ崎、秋谷付近で約100mとなり、大楠山から南東へは野比で約90mまで低下した付近に傾斜変換線があって、これより下方の斜面は急斜面(最大で40°程度)となり、壮年期の地形を呈する。
武山(標高200.4m)周辺では、標高200m付近に狭い平坦面がみられるのみで、全体に壮年期の地形を呈する。
大楠山を中心とした平坦面は、調査範囲内では標高170〜40mにわたって、断片的に多数分布している。おおむね畑等耕作地として利用されていたが、現在は放棄されている所が多く地層の露出は少ない。
太田ほか(1982)は、東部の北武断層南方に点在する平坦面の一部を小原台面に対比している。
(2)崩壊地形と崩積土堆積面
長坂およびその西方には崩壊地形が多数分布する。中〜東部地区ではNo.2地点付近(小田和川)と野比の千駄ヶ崎隧道西側の2箇所に分布するにすぎない。長坂より西方においては約30箇所の崩壊地形・崩積土堆積面が分布する。この中で注目される地形は、長坂ゴルフ場内の崩壊地形で、造成により現在はみられないが、崩壊域に比較して、崩積土が長さ約130mわたって分布し、崩積土が流動化して流失したと考えられる地形が判読される。 葉山層群の分布地帯で水田が立地する斜面はすべて地すべり地形である。しかし、今回の断層変位地形図などには、断層や河成段丘面と重複して表現が困難であるので、地すべり地形そのものの表示は省いた。
(3)完新世河成段丘面
今回の空中写真判読では以下のように、谷底平野を地形形状から完新世河成段丘高位面群・同中位面・同低位面に3区分した。
北武断層帯と交差している河川は幅30m前後である。谷底平野は、河成堆積物によって埋積されているのが普通で、上流から下流に向けて水田が階段状に造成されており、この面を完新世河成段丘中位面(m面)とした。中位面の分布高度は95〜10mである。この中位面は断層による谷の横ずれによって、上流側の流路が隣りの河川に争奪されている例が数多くみられる。河川争奪された地点には風隙が生じ、争奪された河川は流路が短縮されたことによって回春し、河成段丘低位面(L面)になっている所もみられる。
河成段丘中位面を上流にたどると、階段状に分布する水田の段差が大きいところがあって、これより上流を完新世河成段丘高位面群(h面)と表現する。高位面の分布高度は、110〜20mである。この高位面は普通は1面であるが、長沢川上流では2面認められる。
河成段丘中位面を下流にたどると、下流に向かって階段状に分布していた水田が、あるところから河川中央に向かうように階段状に造成されているところがある。これらの面を河成段丘低位面(L面)と表示する。低位面の分布高度は50〜5mである。
(4)完新世海成段丘面および砂丘
野比海岸の海成段丘面については、太田ほか(1994)にしたがって表示した。完新世海成段丘面は北武断層の南側では3段に分類できる。上位からHm1面、Hm2面,Hm3面が認められ、秋谷海岸においても3段の海成段丘面を識別できる。
Hm1面の高度は20m前後,Hm2面は12〜14m,Hm3面は数mとされる。Hm1は完新世海進高頂期を代表するもので約6800yBP以降に離水、Hm2面は約5400yBP以降(おそらく約5000yBP)、Hm3面は3100yBP以降にそれぞれ離水したとされる(太田ほか、1994)。
これらの海成段丘面は現在、病院などの用地として人工改変されているため、完新世における断層変位地形を明らかにすることはできない。
完新世の砂丘は野比海岸において、Hm1面とHm2面を被覆して分布する。国立久里浜病院付近においては砂丘が北武断層分布地を被覆し、断層の位置を不明瞭にしている。