3 文献調査と活断層図の作成

国府津−松田断層帯などの活断層図を米軍空中写真判読と文献調査結果を用いて作成した。インデックスは図3−1に示す。国府津−松田断層の活断層図は1/5000で、平山断層、日向断層、生沢断層、小向断層は1/25000で作成した(図3−2−1図3−2−2図3−2−3図3−2−4図3−2−5図3−2−6図3−2−7図3−2−8図3−2−9図3−2−10図3−2−11)。また、この地域では様々な火山灰が地層や地形の鍵層になっている。このあと度々登場するので、その名称、略号、年代を表3−1に示す。

活断層図では低断層崖、撓曲、高度不連続、断層崖などを図示した。活断層の凡例としては活断層、活断層(位置やや不明瞭)、リニアメント、伏在活断層、地形の撓みを分類した。また、活断層の活動時期や活動年代の評価に関係する地形面を分類した(図3−2−1図3−2−2図3−2−3図3−2−4図3−2−5図3−2−6図3−2−7図3−2−8図3−2−9図3−2−10図3−2−11)。人工改変地、天井川、砂丘は最新の地形であり、断層地形は認められない。天井川は人工的に河道が固定され河床が高くなった地形で、河道が固定される以前には山地から供給された土砂は沖積錐を作った。沖積錐は小型で急傾斜な扇状地である。崖錐は山麓の急斜面下に帯状に分布する地形で小田原市弁天山トンネル出口、大井町坊村などでは低断層崖で変位している。地すべりは土砂や岩石が集団で移動した地形で山麓に点々と分布する。完新世段丘は海岸沿いでは3段に区分され高位から中村原面(6000〜7000年前)、前川面(約3000年前)、押切面(約1000年前)と呼ばれている(神奈川県,2003)。国府津−松田断層沿いにも完新世段丘が分布するが、河成段丘であるため詳細な年代は不明である。山麓緩斜面は国府津から曽我谷津にかけての国府津−松田断層の山麓に分布する。河床からの比高は小さく、低平な地形で時代的には新しいように思われたが、後述するように今年度調査で谷津B地点では2.2万年前より古いことが確認されている。LU段丘、LT段丘は比高10〜15mの開析されていない段丘群で、太田ほか(1982)では立川面相当に対比し、関東第四紀研究会(1987)は1〜3万年前としている。M段丘は大井町相互台の台地を作る河成段丘で太田ほか(1982)は被覆するローム層の厚さから4.5万年前と推定している。松田町の松田山山麓に分布する比高80〜150mの段丘もYamazaki(1992)によるとHk−TPfl(箱根東京軽石流:約6〜6.5万年前)やOn−Pm1(御岳第1:約10万年前)を挟在する松田礫層が作る地形でM段丘とする。 Hk−TPfl台地は箱根東京軽石流が作った台地で、国府津−松田断層の低下側で標高20m前後の千代台地を作り、隆起側で大磯丘陵では標高206mを最高に150m前後に分布する。大磯丘陵内のHk−TPflの高度分布は堆積前の起伏の影響があると考えられるが、国府津−松田断層を境に隆起していることは確実である。