3−5 神縄断層系
神縄断層は北側の丹沢層群と南側の足柄層群とを境する逆断層あるいは衝上断層として、津屋(1942)、松島・今永(1968)などによって調査された。その後、杉村(1972)などにより神縄断層はフィリピン海プレートとユーラシアプレートとの境界と考えられ注目された。町田ほか(1975)は駿河小山付近で神縄断層がKs断層とKn断層に分岐していることを述べ、Ks断層として、駿河礫層と丹沢層群が断層で接する露頭を報告した。また、駿河礫層は上部にOn−Pm1を挟み、Hk−OP(箱根小原台:8−8.5万年前)とその下位のローム層に覆われることを明らかにした。しかし、星野・長谷(1977)や狩野ほか(1984)などにより、神縄断層は東西走向の逆断層とそれを切るNE−SW走向の横ずれ断層群からなる断層系であることが指摘された。横ずれ断層群は神縄右横ずれ断層(狩野ほか,1988)、塩沢断層系(狩野ほか,1979)、中津川断層系(佐藤,1976)と呼ばれる。Ito et al.(1989)は神縄逆断層系のうち衝上断層は50万年前の堆積物を切っていないとしているが、横ずれ断層群の塩沢断層系は神縄衝上断層を左横ずれ変位させており、町田ほか(1975)のKs断層もこれに含まれる。駿河小山付近におけるKs断層はほぼ垂直で、On−Pm1を挟む駿河礫層を90m以上変位させている(町田ほか,1975)。狩野ほか(1988)は塩沢断層系のうち、東側隆起成分をもつものに関しては、新期ローム層の基底にほとんど変位がみられないことから、同断層の活動は約7万年前には終了していたと考えている。神縄断層系は地形的にあまり明瞭でなく、宮内ほか(1996b)の都市圏活断層図「秦野」では推定活断層として扱われている。