3−2 千代台地西縁の活断層
Kaneko(1971)は千代台地西縁に崖が存在し、台地が東へ傾動すること、台地を横切る北東−南西方向の崖を境に高度不連続が認められることから、国府津−松田断層の分岐断層として千代台地西縁に活断層を想定した。鈴木(1972)は千代台地を横切る地質断面において沖積層の層相が不連続なこと、千代台地西縁に崖が存在することから活断層の存在を指摘した。活断層研究会(1980)はKaneko(1971)をうけて千代台地西縁に確実度Uの活断層を図示している。太田ほか(1982)も千代台地西縁の崖を国府津−松田断層から分岐した逆断層と解釈して、千代台地が東へ傾動する断面図を示した。国府津−松田断層を含めた地質断面図は上杉ほか(1982)によって示されている(図3−5)。これに対して、水野ほか(1996)は千代台地北端部において浅層反射法弾性波探査を行い、断層構造は認められないとしている。上本・上杉(1998)は千代台地上の3つの遺跡で地割れ群を確認し、これらを4つの時期の地震跡と解釈し、千代台地西縁に活断層が存在する傍証としている。それらの時期は2800〜3000年前、2300〜2500年前、古墳時代中・後期〜奈良時代、F−Ho:宝永スコリア降下後(AD1853年嘉永地震の可能性がある)の4つである。山崎・水野(1999)は千代台地西縁に連続する崖を挟んでボーリング調査を行い、Hk−TPflの基底およびその下位の河成礫層(三崎面相当)の高度に有為な差が認められないことを示している(図3−6)。神奈川県(2002)の反射法地震探査では千代台地西縁に断層があるかどうかは不明瞭であった。宮内ほか(2003)は国府津−松田断層において反射法地震探査を行い、足柄平野内では複数の断層が認められ、その1つは千代台地西縁の崖地形に一致するとしている。