3−1−1 周辺のテクトニクス

調査地域周辺の活断層分布図、活断層リスト及び地質図を図2表4及び図3に示す。足柄平野から関東山地にかけては、伊豆小笠原弧と本州弧の衝突により、中期中新世から丹沢山地、伊豆半島などが本州弧に付加してきた。こうした一連のテクトニクスによって、藤の木−愛川構造線から神縄断層そして国府津−松田断層へとプレート境界も漸次移動してきた。

国府津−松田断層は足柄平野と大磯丘陵を画し、現在のプレート境界とする説もあり、上下成分で3〜4m/1,000年の平均変位速度が推定されている(町田・森山,1968など)。大磯丘陵における下末吉面(約13万年前)の隆起量は100m前後に達し、三浦半島の先端部がこれに次ぎ、あたかもフィリピン海プレート境界部との距離が増大するにしたがって、下末吉面の隆起量が減少しているようにみえる。この傾動運動は、渋沢断層の延長方向にあたる秦野−横浜構造線(町田,1973)周辺で終わり、ヒンジラインを形成している。このことは、渋沢断層の形成がフィリピン海プレートと本州側プレートの相互作用に深く結びついていることを示唆している。