A 秦野断層系
秦野断層:第四紀後期の河成段丘が累積的に変位している.葛葉川から金目川にかけて発達する葛葉台面は,隆起側で逆傾斜あるいは減傾斜している.断層崖の比高は,葛葉台面と尾尻面で52 (断A面,図1−12),葛葉台面と尾尻面との間で43 (断面B,図1−13),尾尻面で24 (断面@,図1−11),葛葉台面と尾尻面との間で18 (断面C,図1−14) である.一般に断層の低下側では若い面があることが多いので,断層崖の比高は,真の変位量を求めがたい.秦野断層の南西端では尾尻面を変位させる撓曲崖の比高は4.5である (断面,図1−15).秦野断層をはさんでのボーリング調査に基づくと,TP (東京軽石層) の垂直変位量は72mである (長瀬,1982).葛葉川が断層を横断する付近では,TP前後の地層が断層運動によってせん断され,直立している様子が確認される (写真1−3).
下宿断層:葛葉川左岸 (下宿付近) 及び右岸 (曽屋付近) の葛葉台面 (断面,図1−13),東田原付近の才ヶ戸面,曽屋付近の尾尻面に北西に下がる緩やかな撓曲崖が認められる.地表に現れている撓曲崖の比高は,古い面ほど大きく,累積的な変位を示す.上位2面については,低下側に同時代の段丘がないので,実際の変位量はこの値より大きい.断層の出現位置と変位の向きから考えて,下宿断層は秦野断層に対する副次断層 (antithetic fault) と考えられる.
八幡断層:ほぼ東西に伸びる本断層は,盆地北東隅に山地と盆地境界として急崖を見せている.金目川を横切る付近では,河成段丘に垂直変位が認められ,葛葉台面では8m前後,才ヶ戸面,尾尻面では数m以下とみられる.中庭付近では沖積面上に比高2〜3mほどの低断層崖が見られ (宮内ほか,1996) 完新世の活動を示すものと考えられる.
三屋断層:盆地主体をなす尾尻面は三屋付近に広く分布する.水無川左岸には蒲鉾状の形態を呈する高まりが存在する.これは被覆テフラと段丘面の形状からみて,背斜状に変形した葛葉台面であると推定される.この葛葉台面の東側は東から東南に急斜する.上流側では北西方向に逆傾斜している.このような形状から,葛葉台面の東側に撓曲崖を推定する.撓曲崖の長さが短い
図1−11.東落合付近を通る地形断面図(石和,1997ms)
ので断層の走向を決めるのは難しいが,ほぼ北東〜南西方向であろう.撓曲崖の比高は才ヶ戸面と尾尻面との間で10m(断面C,図1−14) である.葛葉台面の北側の尾尻面も撓曲変形を示し,その量は4.2mである (断面E,図1−16).
戸川断層:盆地北西部の戸川付近の河成段丘 (才ケ戸面相当) に北東〜南西方向の南東落ちの撓曲変形が認められ.撓曲変形している幅は約200mであり,その比高は10 (断面F,図1−17) である.水無川両岸の尾尻面には顕著な変位が見られず,継続的な運動をしていない可能性がある.
B 渋沢断層系
渋沢断層は,秦野盆地南縁を画する北下がりの東西に伸びる活断層 (写真1−4) であり,断層線は複数のトレースから成る.その延長は6.5kmであるが,東部では不明瞭となり,正確な長さは不明である.また東・西の両断層はともに葛葉台面を変形させるが,低下側にはより若い段丘 (才ケ戸面,尾尻面) が見られるので,真の変位量は以下に述べる値以上であると考えられる.
渋沢西断層:秦野盆地南西縁・渋沢付近において,活断層は2本認められ,ともに萩が丘面を北落ちに変位させている.この撓曲崖の比高は最大で約15である (断面G,図1−18).この比高は,萩が丘面の変位量ではなく,TPfl堆積面の変位量の下限値とみなした方がよい.撓曲崖の比高は,
図1−12.西落合付近を通る地形断面図(石和,1997ms)
図1−13.くずは台団地を通る地形断面図(石和,1997ms)
図1−14.横道−三屋−曽屋付近を通る地形断面図(石和,1997ms)
図1−15.鈴張町付近を通る地形実測断面図
図1−16.二ツ屋近を通る地形実測断面図
図1−17.戸川を通る地形実測断面図(石和,1997ms)
図1−18.渋沢を通る地形断面図(石和,1997ms)
図1−19.今泉付近を通る地形断面図(石和,1997ms)
東に向かって減少してトレースは不明瞭となる.
渋沢東断層:渋沢駅付近では,渋沢西断層より南に明瞭なトレースが現れる.そこでは葛葉台面を北落ちに変形させ,撓曲崖の比高は10程度である.本断層は、 秦野市街地南方において尾尻面を撓曲変形させている.渋沢東断層を挟んで,尾尻面の高度には約15m食い違いがあり (断面H,図1−19),南側が相対的に高くなっている.これが,尾尻面形成後の渋沢東断層の垂直変位量であると考えられる.