本報告では最高位の河成段丘面として,萩が丘面を図示した.萩が丘面は,秦野盆地南西縁渋沢周辺において,後述の渋沢断層の隆起側に分布している.本面は,多摩下部ローム層下部層 (Tll−1〜15) の時期に離水している (関東第四紀研究会,1987;図1−6).Tll−9 (TE−5) のFT年代は,39〜46万年前 (町田・新井,1992) である (表1−2) ことから,萩が丘面の離水時期は,およそ30数万年前であると推定される.ただし.本地域はTPflによって埋めつくされており,地表近くにはTPflが分布する.
なお,従来の研究においては,葛葉台面と才ヶ戸面との間に,岩倉面の分布が認められている (内田ほか,1981など).しかし,岩倉面の分布範囲が限られており,広域に 対比することができなかったため,本報告ではそれを図示しなかった.
秦野盆地の活断層を上記段丘面の変位に基づいて抽出し,断層トレ−スの連続状態から秦野断層系 (秦野,八幡,下宿,三屋,及び戸川の各断層からなる),及び渋沢断層系(渋沢西及び渋沢東の各断層からなる) に分類した (付図).
以下に空中写真判読による各断層の概略を述べる.
A 秦野断層系
従来から知られている秦野市街地西部を横切る活断層 (写真1−1、写真1−2) のほかに,短いが明瞭な4つの活断層がある (表1−5).
秦野断層:秦野盆地の北東部において,金目川,葛葉川,水無川沿いに発達する第四紀後期の河成段丘群を累積的に変位させている断層崖・撓曲崖が東北東−西南西方向に認められる.高位の段丘面が減傾斜や逆傾斜している様子が,写真上でも判読できる.変位地形として連続的に認定される秦野断層の長さは,2.8km (小金沢〜鈴張町) である.水平変位はなく,南東落ちの垂直変位のみ認められる.
下宿断層 (新称) :秦野断層の約1.2km北東には河成段丘群を変位させる撓曲崖として認められる.都市圏活断層図 「秦野」 でも表示はされていたが,今回,下宿断層と新称した.北西落ち (山側落ち) の垂直変位を示す断層で,変位地形として認定される長さは2.3km(東田原〜下宿) である.
八幡断層 (新称) :秦野盆地北東部隅に,河成段丘群を変位させる撓曲・断層崖,あるいは山麓崖線として認められる.都市圏活断層図 「秦野」 でも表示はされていたが,今回,八幡断層と新称した.南落ちの垂直変位を示す断層で,変位地形として認定される長さは1.4km(中庭〜二ツ沢)である.
戸川断層 (新称) :秦野盆地北西縁北北東〜南南西方向に伸び,河成段丘群を変位させる撓曲崖として認定される.都市圏活断層図 「秦野」 でも表示はされていたが,今回,戸川断層と新称した.東落ちの垂直変位を示す撓曲変形帯の長さは0.7km(横道−政ヶ谷戸),変形幅は200mである.水無川右岸南西方に伸びる可能性はあるが,河成段丘面上の変位は読み取れない.
三屋断層 (新称) :戸川断層と下宿断層の間に,北北東−南南西に伸びる東下りの撓曲変形が河成段丘面上に認められる.垂直変位を示す撓曲変形帯の長さは0.6m(三屋北方周辺),変形幅は100mである.都市圏活断層図 「秦野」 でも表示はされていたが,今回,三屋断層と新称した.方向からみて八幡断層に連続する可能性がある.
表1−5.活断層線の長さ
b 渋沢断層系
従来は秦野盆地南縁と大磯丘陵とを境する東西方向のほとんど一直線状の活断層とされていたが,渋沢駅南方で雁行する2本のトレースに分かれることが確かになった.西側のトレースを渋沢西断層,東側のものを渋沢東断層と呼ぶ.これらはやや北に張り出した緩い弧状を呈する.いずれも第四紀後期の段丘面を北落ちに変位させており,全長は6.5kmである.
渋沢西断層:沼代地区において小田急小田原線の南側に,東西1.7に伸びている北に張り出すような形の撓曲崖が見られる.東に向かって比高が減少する傾向がある.
渋沢東断層:渋沢駅南方では渋沢西断層は南へステップオーバーして,渋沢1丁目から3丁目にかけて撓曲崖が長さ1.5kmにわたり認められる.これを渋沢東断層と呼ぶ.ここでは河成段丘面が撓曲崖の南で背斜状に高まっている.平沢から尾尻に東西に伸びる断層崖は,都市圏活断層図 「秦野」 にも表示されている.渋沢東断層の総延長としては,渋沢1丁目付近から尾尻付近までの長さ5.4kmとした.平沢の南東では,北流する二つの谷の谷底が断層によって切断されているように見える.しかし,こ
の部分では崖が一般的な走向よりもやや南に湾曲していて,地すべりによる滑落崖であると判断した.