3−3−2 対応する歴史地震

理科年表(1992年版)および宇佐見(1987)によると、震央が相模国の内陸にあったと推定され、津波を伴わずM≧7で、かつ、宝永期(1707年)以前の地震として、下記のものがある。

@ 878年(元慶2年);震央35.5°N139.3°E、M7.4。関東諸国とくに相模・武蔵がひどく、5〜6日間振動が止まらず、公私の建物で無被害のものはなかった。土地の陥没地区あり、往還不通になる。圧死者多数。京都で有感。

A 1293年(永仁元年);鎌倉に大きな被害をもたらした。M7(資料不十分)。死者数千あるいは2万3千余。

B 1433年(永享5年);震央34.9°N136.0°E、M≧7(資料不十分)。鎌倉に大きな被害をもたらした。

C 1648年(慶安元年);震央35.2°N139.4°E、M7(資料不十分)。小田原付近に大きな被害をもたらした。

D 1670年(寛文10年);震央37.7°N139.4°E、M63/4(資料不十分)。相模地震と呼ばれている。

松田ほか(1988)31)は、このように、歴史地震についての資料は必ずしも十分ではないが、現段階での史料にもとづくと、伊勢原断層の最新活動時期の地震に対応する歴史地震としてもっともよく適合する地震は、その規模及び被害範囲と被害程度から判断して、元慶2年(西暦878年)の相模・武蔵地震であると述べている。しかし、今回の調査では、図3−3−1に示すように、活動時期(約2000yBP以降)が特定できないことから、対応する歴史地震は不明である。