岡崎地区では、伊勢原断層の両側で断層の活動性を検討することを目的として、今永ほか(1982)8)と松田ほか(1988)31)がボーリング調査を実施している(図3−1−7)。 今永ほか(1982)8)は、図に示すA・Bの2地点*でのボーリング調査の結果から、@A・B両ボーリング・コアにあらわれた完新世海成貝層上面の標高は、B地点で−3.6
7m,A地点で−0.19mであり、両者の標高差3.48mは、両地点間を通る伊勢原断層の変位量をある程度示していると思われる。
Aこの3.48mの標高差が、どの程度断層の変位量であるかを検討するために、海成貝層の上位層のなかから、鍵層となるスコリア質火山灰層を12層選定し、A・B間の高度差を調べたところ、海成貝層堆積時以後に起きた伊勢原断層の変動量の累積を示すと考えられる結果が得られた(図3−1−8)。と述べている。
松田ほか(1988)31)は、今永ほか(1982)8)と同一の断面線上のY・W・X・Zの4地点*におけるボーリング調査の結果から、
@Y・Z両ボーリング・コアの肉眼鑑定と珪藻などの微化石分析から判定した完新世海成層の上限の標高は、Y地点(断層の西側)で−2.16m、Z地点(断層の東側)で−0.91〜−1.10mであり、断層の東側(Z地点)の方が1.06〜1.25m高い。なお、断層東側のW・Xの2地点では海成層は未確認である。
A断層両側での、約6000年前の海成層上面の高度差とその上位にある約1100年前までの主要テフラ層の標高差は1.6±0.6mであり、それらの間に有意の差がない。この1.6±0.6mの高度差は伊勢原断層の変位によると考えられ、その変位が生じた年代は延暦・貞観年間のテフラ層堆積以後で、宝永スコリア堆積以前である。
B断層東側の完新世の堆積物は埋没段丘上にのっており、断層に近い側から立川ローム層(W地点),下末吉ローム層(X地点)及び早田ローム層(Z地点)が分布している。これらのテフラ層が互いに断層で接しているか否かは、今回確認できなかったが、このことは、完新世の断層活動以前にも、西落ちの活動があったことを示唆している。
Cまた、今永ほか8)の3.48mの海成層上面の高度差と松田ほか(1988)31)の1.6±0.6
mの高度差の差異についての原因として
・A−Z間およびB−Y間に断層または撓曲があり、そこで変位が生じている。
・海成層と陸成層の境界面の認定に差異がある(A・B両地点では珪藻などの微化石 については未調査)。
・Z地点の海成層上面が1m以上侵食されている。
の3つの場合が考えられるが、これらのいずれであるかは不明である。
と述べている。
一方、今回の北金目地区のボーリング調査による完新世海成層の上面標高は、断層西側のB2−1で−0.48m、断層東側のB2−2で1.39m、B2−3で2.02m、B2−4で0.92m、B2−5で
(注) 両調査のボーリング地点の配置は、西側からB・Y・W・X・Z・Aの順となる。
1.36mである。これらの標高差はB2−1〜B2−2間で1.87m、B2−1〜B2−3間で2.50m、また、B2−1〜B2−4間で1.40mとなる。結局、北金目地区東西方向の断面における海成層上面の標高差は1.40〜2.50mである。
この解釈として、浅層反射法の結果も合わせて考えると、B2−1〜B2−3間に断層または撓曲があって海成層上面を変位させている可能性がある。しかも、断層線は単一ではない。その変位量は、前述の標高差1.4〜2.5mに近いものと思われる。ただし、B2−1とB2−2は海成層上面に砂礫層をのせていることから、海成層の上部が一部、削剥されている可能性も考慮しなければならず、真の変位量を正確に把握することができない。
この北金目地区の断層は、先の松田ほか(1988)が指摘した岡崎地区の断層または撓曲の南方延長に相当することが考えられる。
図3−1−7 岡崎地区・北金目地区の完新世海成層の上面標高と断層分布の推定
図3−1−8 岡崎地区(A,Bボーリング)
今永ほか(1982)8)
また、岡崎地区と北金目地区の海成層上面の標高は、多少侵食の影響があるにしても、全体に東上がりの傾向があり、かつ、岡崎地区よりも北金目地区の方が高い、すなわち、南上がりの傾向が認められる。
これらの点から、伊勢原断層の活動によって東上がりの変位を生じ、同時に、少なくとも縄文海進以降に、南側の地盤が隆起した可能性が示唆される。
以上の推論について結論を得るには、海成層を含めて平面分布や三次元の検討を要する。これらは、伊勢原断層の活動性と活動時期の評価や南限を特定する上で重要と思われるが、今後の調査・検討課題である。