(1)伊勢原断層周辺の地形・地質研究

伊勢原断層周辺地域を全体的に概観する地質文献は、岡ほか(1979)43)による「地域地質研究報告1/50,000図幅,藤沢地域の地質」がある。また、第四紀の地形・地質に関しては、関東第四紀研究会(1987)18)を始め、様々な調査研究がなされている。

本地域の新第三系は丹沢層群と愛川層群からなり、両者は基本的に断層(青野原−煤ヶ谷線)で接している(篠木・見上,195451);見上195536),195837),196138);岡ほか,197943))。断層の西側には下位の丹沢層群が、東側には上位の愛川層群が分布する。伊勢原断層の日向川以北の地域は、丹沢山地の北東縁にあたり、丹沢層群と愛川層群よりなる。また、その以南の地域では東側に愛川層群からなる丘陵地が南北に連なる(岡ほか,1979)43)。

本地域の第四系は、主として、日向川以南の地域に広く分布し、北から、日向川扇状地(立川面),鈴川・渋田川扇状地(武蔵野〜立川面),伊勢原台地(下末吉面)及び鈴川の沖積平野を形成している(岡ほか,197943);東郷ほか,199652);神奈川県温泉研究所地下水調査グループ,197015))。日向川以北地域の第四系は、玉川や小鮎川中津川、串川、道志川の上流支川の谷間に分布し、小規模な段丘面(下末吉面〜沖積面)を形成している(岡ほか,197943);東郷ほか,199652))。

本調査地域南端の大磯丘陵では、大塚(1931)48)、町田・森山(1968)28)及び関東第四紀研究会(1987)18)により、地質層序・火山灰層序に関する調査研究がなされている。これらによれば、大磯丘陵の第四系は下位より二宮層群、曽我山層群(下部多摩ローム及びその相当層),早田層・七国峠層(上部多摩ローム及びその相当層),下末吉層・下末吉ローム層,新期ローム層,完新世火山灰層に区分されている。

神奈川県温泉研究所地下水調査グループ(1970)15)によれば、伊勢原台地の表層は層厚10〜20mの新期ローム層に覆われておりその下に層厚数mの軽石層、砂層(層厚17m)、礫層(層厚9m)があり、その下の深度60〜70mには貝化石を含む粘土層がある。この伊勢原台地の地形面を下末吉面と対比している。

また、電気探査の結果及び既存深井戸資料より作成した基盤等深線図(図2−1−2)から伊勢原台地と丹沢山地に挟まれて幅2kmの地溝状の谷が埋没していると推定しており、この埋没谷を“伊勢原埋没谷”と呼んでいる。この埋没谷には愛名面(七国峠面)形成時以降の堆積物が埋積しているとしている。埋没谷の最も深い部分は標高約−90mに達することから、河川の侵食のみでは説明できず、地溝状の凹地をつくる沈降運動があったと推定している。埋没谷の形成時期は愛名面(七国峠面)形成時から始まり、その地溝状の断層活動に伴う沈降量は愛名面形成時から約50〜90m、下末吉ローム堆積後約20mと推定している。花井(1934)5)の伊勢原断層、および篠木・見上(1954)51)の牧馬−煤ヶ谷線は、この埋没谷の東縁を走っている。

図2−1−1および図2−1−2は、神奈川県温泉研究所が作成したブーゲー異常分布図(平賀ほか,1973)6)と新第三紀基盤岩類の上面等深線図(地下水調査グループ、1970)15)上にそれぞれ伊勢原断層の位置を示したものである。これらの図から明らかなように、伊勢原断層は、重力の側からは丹沢山地と小仏層群分布域の高重力地域に囲まれた顕著な低重力帯のなかを走っており、また、第四紀中期以降の埋没谷の形成とその埋積過程にも深く関与していと考えられる。

伊勢原台地の東に接する相模川沖積低地については、貝塚・森山(1969)13)、町田(1973)27)、成瀬(1960)41)および松島(1979)32)、(1980)33)、(1984a)34)、(1984b)35)の詳細な研究がある。

貝塚・森山(1969)13)によれば相模川埋没谷は、相模川を中心として寒川付近の小出川埋没谷、厚木南方で玉川埋没谷、中津川埋没谷を形成しており、基底の深度は標高−90mに達している。相模川西部では、中津面、田名原面は沖積層の下に埋没している。海面の上昇の初期にあたる沖積層は砂礫層からなる広い扇状地を作って、その後、海成の砂質層及び泥質層を堆積している。

図2−1−1 丹沢山地およびその周辺のブーゲー異常分布図(平賀ほか,19736)に伊勢原断層の位置と大深度反射法探査の位置を加筆)

図2−1−2 基盤岩類の等深線図(神奈川県温泉研究所地下水調査グループ,197015)に伊勢原断層の位置を加筆)