本地点のルート・マップを図4−32, 地形断面図を図4−33に示す。
リニアメントの北西側に分布するL1 面は人工改変により階段状を示しているが,少なくとも地表面下約3m付近までは入戸火砕流堆積物が分布していることが確認される(図4−32の写真3,4)。また, リニアメントの南東側には四万十層群が分布し,急崖基部付近には礫層が認められる。
これらのことから, 断層の位置, 入戸火砕流堆積物の変位の有無, トレンチ調査により得られる成果の内容について検討を行うことを目的に, リニアメントとして判読される急崖の基部を挟んで図4−32に示す位置で, Kn−1孔〜Kn−4孔の計4孔のボーリングを実施した。ボーリング調査結果を図4−34に示す。
本地点では, 基盤の四万十層群を覆って, 下位より黄白色シルト質角礫層, 入戸火砕流堆積物が分布する。ボーリング実施地点では人工改変により入戸火砕流堆積物の上位層が欠如しているが, 露頭において入戸火砕流堆積物の上位にも固結度の低い礫層が認められる。
Kn−1孔〜Kn−4孔いずれのボーリングにおいても, 四万十層群に断層破砕部は確認されないものの, Kn−2孔とKn−4孔との間で, 基盤上面及び入戸火砕流堆積物下面のいずれにも高度及び傾斜角に不連続が認められ, 両孔の間に, 南東上がりの断層の推定が可能である。
このことから, 本地点において, 入戸火砕流堆積物及びその上位の礫層の変位の有無を確認することを目的に, 図4−35に示す位置でトレンチを掘削した。トレンチの展開図を図4−36に,各法面のスケッチ・写真を図4−37−1,図4−37−2,図4−37−3,図4−38−1,図4−38−2,図4−38−3,図4−39−1,図4−39−2に示す。
本トレンチには, 四万十層群及びそれを覆って, 下位より入戸火砕流堆積物, 礫層が分布する(図4−36)。
入戸火砕流堆積物は, 下部の無層理で塊状部分と上部の葉理に発達した成層部分とからなり,上部の成層部分は,同火砕流堆積物の二次堆積である可能性があるが,成層部分と下位の塊状部分との間に風化帯等はなく,漸移的であることから,両者に時間間隙はないものと考えられる。入戸火砕流堆積物を覆う礫層は,その層相から下位の礫層a及び上位の礫層bに区分される。礫層aは径が 1cm〜3cm 程度で比較的淘汰の良い円礫からなり,礫層bは径が数cm〜20cm程度の不淘汰な亜角礫〜角礫からなる。これらの礫層は年代試料に乏しいものの,礫層bから採取した試料の14C年代は約5800年前の値を示す(図4−36)。
トレンチの最下部において,四万十層群と入戸火砕流堆積物とは, NE−SW走向で,約40°〜約50°北西傾斜の断層面で接している(図4−36,図4−37−1,図4−37−2,図4−37−3,図4−38−1,図4−38−2,図4−38−3,図4−39−1,図4−39−2)。この断層面は,前述の宇都野々地点のLoc.u111に認められた古期崖錐堆積物と入戸火砕流堆積物とを境する断層面と類似した性状を示し(図4−29),同様に,傾斜角が緩い正断層面であることから,地すべり面である可能性もあることから,以下,この面を「すべり面」と呼ぶ。「すべり面」直下の四万十層群上面には,面に沿って幅 5cm〜10cm程度のやや軟質な砂質粘土が認められるが,下盤側の四万十層群は角礫状を呈するものの,顕著な破砕は認められない。
「すべり面」の上盤側の入戸火砕流堆積物中には, 赤褐色の粘土質細粒物質からなるからなる面構造(この面構造は,変位を伴うものが認められ,大部分が断裂と考えられるが,その性状が宇都野々地点のボーリング・コアで確認されたものと同様であることから,以下,「スジ状断裂」と呼ぶ。)が多く認められ,,その幅は数mm〜約20cmである(図4−36,図4−37−1,図4−37−2,図4−37−3,図4−38−1,図4−38−2,図4−38−3,図4−39−1,図4−39−2)。いずれの「スジ状断裂」もNE−SW走向を示し,想定される出水断層帯とはやや斜交しているが, 全体的には「ミ」型状に配列しているようにもみえる。
これらの「スジ状断裂」は,入戸火砕流堆積物内では上記「すべり面」とは逆に約60°で南東に傾斜しており, いずれの「スジ状断裂」も「すべり面」近傍で,上方に凸の形態で弓状に彎曲し,北西傾斜の「すべり面」に合流している(図4−37−1,図4−37−2,図4−37−3,図4−38−1,図4−38−2,図4−38−3)。「スジ状断裂」と「すべり面」との合流部には,入戸火砕流堆積物内に「すべり面」に平行な小断層が認められ,この小断層は「スジ状断裂」に北上がりの逆断層変位を与えている(図4−37−3)。また,「スジ状断裂」の中には, 無層理の火砕流堆積物中に認められるため, 変位を伴うか否か不明であるものもあるが, 北東側法面等では, 入戸火砕流堆積物下部の塊状部分と上部の成層部分との境界に南東上がり1m程度の変位が認められる(図4−37−1)。
多くの「スジ状断裂」は入戸火砕流堆積物の最上部で不明瞭となり, 上位の礫層aの基底面に変位は認められない。しかし, 南西側法面では, トレンチ内で最も幅の広い「スジ状断裂」に沿って礫の砕屑脈が認められる(図4−38−1,図4−38−2,図4−38−3)。この砕屑脈は上方ほど幅が広く, 脈内の礫は入戸火砕流堆積物の上位の礫層aに類似している。このことから, 上位の礫層aが入戸火砕流堆積物中に生じた割れ目に沿って落ち込んだものと判断される。
本トレンチにおいて確認された入戸火砕流堆積物と四万十層群とを境する「すべり面」及び上盤側の入戸火砕流堆積物中の「スジ状断裂」は,基盤の急斜面にアバットした入戸火砕流堆積物の重力下での移動すなわち地すべりによって形成された可能性も考えられる。このため,「すべり面」の四万十層群への連続性,形態,性状等を明らかにすることを目的に,Kn−5孔〜Kn−8孔及び Kn−1'孔のボーリングを追加して実施した(図4−35)。
その結果,図4−34に示すように,「すべり面」は約50°の北西傾斜で四万十層群内に連続しており,Kn−8孔及び Kn−1'孔では,四万十層群内に粘土を伴う断層破砕部が確認された。また,本地点における断面は,前述の宇都野々地点の断面と極めて類似しており,両地点共に,入戸火砕流堆積物が40°〜50°北傾斜の平滑な面で基盤と接し,その面は下方の基盤中の断層破砕部に連続している。
以上のように,本トレンチで確認された入戸火砕流堆積物と四万十層群とを境する「すべり面」は約50°の傾斜で基盤中の断層破砕部に連続し,この「すべり面」の位置とセンスは出水断層帯の地形的推定位置と運動センスに一致していること,また,先に述べたように,「すべり面」近傍の一部で,これと平行な逆断層変位を示す小断層が認められること(図4−37−3),「スジ状断裂」は「すべり面」近傍で上方に凸の形態で湾曲していること(図4−37−3)から,これらの入戸火砕流堆積物と四万十層群とを境する「すべり面」及び入戸火砕流堆積物中の「スジ状断裂」は,重力下で形成されたものとは考えにくく,出水断層帯の活動の現れである可能性が高い。この場合,「スジ状断裂」が上方に凸に彎曲すること,一部で逆断層変位が認められることは,本断層帯の運動センスは,見掛け上,北落ちの正断層であるものの,横ずれ成分を伴っているために,局所的に圧縮が働いていることを示しているものと解釈される。
本トレンチで確認された構造が出水断層帯の活動によって生じたものと考えると,入戸火砕流堆積物中の「スジ状断裂」に沿って礫層aの砕屑脈が認められ,礫層bには断層活動を示唆する現象が認められないことから,断層活動が,礫層a堆積以降,礫層b堆積以前にあったものと推定される。その時期は,礫層aの年代が不明であるため,特定することはできないが,入戸火砕流堆積物の年代と礫層bの年代から,約 25000年前以降,約5800年前以前となる。