3−7−2 反射断面の地質構造

海岸部から沖合にかけての地質構造については,図3−24−1図3−24−2図3−25図3−26に示すように,E層以下の地層が,大局的には鹿児島湾の中央を軸とする緩やかな向斜構造を示している。この構造においては,E層以下の地層は向斜軸部に向かって層厚を増し,軸部で最大層厚を示すことから,その形成時期はG層,F層及びE層堆積期の前期更新世〜中期更新世と判断される。

これに対して,D層以上の地層は,下位層の上限面に刻まれた谷地形を埋積し,ほぼ水平に堆積しており,E層以下の地層にみられる向斜構造は認められないことから,上記の向斜構造の形成はD層堆積期の中期更新世後半にはほぼ終了したものと考えられる。

既往温泉ボーリングの解析結果によると,甲突川河口部付近から鴨池港付近にかけて,基盤の四万十層群上限面が東方に急に深くなる急傾斜部が,NNE−SSW 方向に連続していることが推定された(図3−4)。しかし,反射探査結果によると,この四万十層群上限面の急傾斜部においては,基盤の上面及びその上部の各堆積層はいずれも緩い東方への傾斜を示しており,基盤から堆積層に達するような規模の大きい断層は存在しないことが明らかとなった(図3−24−1図3−24−2図3−25)。

また,早坂(1976)等は,鹿児島湾内に,四万十層群の上面等を標高 −800m付近まで東側に低下させる地塁・地溝構造の存在を指摘している(図3−10図3−11)。しかし,反射探査結果によると,鹿児島湾内においても,深度 1000m以浅の少なくとも中部更新統以上の地層は,湾の中央部を軸とする緩い向斜構造を示しており,早坂(1976)等が指摘した深度には,地塁・地溝構造が認められないことが明らかとなった(図3−24−1図3−24−2図3−25)。

すなわち,「鹿児島湾西縁断層」は,「九州の活構造図」(1989)及び新編「日本の活断層」(1991)により,基盤の四万十層群上面が東方に向かって急に深くなることから推定されたものであるが,この意味において,反射探査範囲以深に同断層が存在するとしても,少なくとも中期更新世以降における活動がないことを示すデータが得られたことになる。

一方,南港沖及び永田川沖の反射探査測線においては,いくつかのいずれも東落ちの正断層が認められる(図3−24−1図3−24−2図3−25)。これらの断層のうち,より新しい時代における活動を示す断層としては,永田川河口から,約 2.4km沖合にF−C1及び約 3.3km沖合にF−C2の2条の断層があり(図3−24−1図3−24−2図3−27),両断層共に,沖積層相当層のA層に約3m〜約1mの変位が認められる(図3−27)。しかし,F−C1断層はD層(中部更新統の上部)中で約 22m,F−C2断層は,D層基底面で約 23m,それぞれ最大鉛直変位量を示し,両断層共に,下方で変位量が減少し,いずれにおいてもE層(中部更新統の中部)下部では反射面が連続しており,変位がないことが確認される(図3−24−2)。両断層以外のその他の断層についても,一部で不明瞭なものもあるが,変位量は下方で減少あるいは消滅する(図3−24−1図3−24−2図3−25)。

F−C1断層及びF−C2断層の連続性については,両断層と同様の断層形態を示す断層は,南港沖の測線のショット番号(SP) 380付近,450付近等に認められるが,南港と永田川河口との間で実施した木材港沖の探査測線では,A層に変位を与える断層は認められない(図3−28)ことから,両断層に対応する断層は確認できない。

いずれにしても,上記のように,F−C1断層,F−C2断層等のいずれの断層も,下方に向かって変位量が減少・消滅し,深部には連続しないことから,これらの断層は,四万十層群上面が東方に向かって急に深くなることから推定された「鹿児島湾西縁断層」との関連性は認められない。

なお,永田川沖測線の東端付近(ショット番号;60付近,垂水市沖約 3km付近)では,F層(下部更新統)及びそれより上位のD層(中部更新統)までの地層に,西側低下の大きな撓曲が認められ,撓曲量は下位層ほど大きく,撓曲変形が累積しているものと考えられる(図3−24−1図3−24−2)。F層の下位では反射面がほとんど得られていないものの,F層以上の地層の変形形態から,深部に断層が存在する可能性があり,この場合,断層活動が中期更新世に及んでいることになる。この断層については,位置及び断層のセンスが「鹿児島湾西縁断層」とは異なり,本調査の対象外であることから,これ以上の言及は行わない。