(1)高窪層の断層
本層中の断層は、津幡町浅谷西部、金沢市利屋町および二日市町東方の丘陵部にみられる。NNE−SSW〜NE−SW走向、52〜90°北西傾斜、およびNW−SE走向、59°北東傾斜あるいは62°南西傾斜を示す。見かけの変位は、わかるもので数cm〜数m程度の正断層であり、また破砕幅1cm以下の小断層である。図2−4−5−2に高窪層の断層面のシュミットネット下半球投影図を示す。
(2)大桑層の断層
本層中の断層は、津幡町〜金沢市柳橋町にみられる。NNE−SSW〜NE−SW走向、22〜85°南西傾斜および48〜86°北西傾斜を示す。断層の走向は、新編「日本の活断層」に示されているリニアメントの方向にほぼ一致する傾向にある。 見かけの変位は、わかるもので数cm〜数m程度であり、高窪層と同様にほとんどが正断層である。 また破砕幅15cm以下の小断層である。図2−4−5−3に大桑層の断層面のシュミットネット下半球投影図を示す。
(3)卯辰山層の断層
本層中の断層は、金沢市柳橋町にみられる。断層面の走向傾斜がN20°E/63°NWのものなど、多数の小断層が発達する。小断層の走向は、大桑層と同様に新編「日本の活断層」に示されているリニアメントの方向にほぼ一致する。見かけの変位は、わかるもので数cm〜数十cm程度であり、高窪層および大桑層と同様にほとんどが正断層である。また破砕幅1cm以下の小断層である。
図2−4−5−2 高窪層の断層面のシュミットネット下半球投影図
図2−4−5−3 大桑層の断層面のシュミットネット下半球投影図
(4)第四紀更新世後期以後(中位段丘堆積層以後)の地層の断層
今回の地表踏査では、第四紀更新世後期以後(中位段丘堆積層以後)の地層である高位砂礫層、中位段丘堆積層および低位段丘堆積層を切る断層露頭はみられなかった。また、沖積層は露頭がないため不明である。卯辰山層を切る小断層が、中位段丘堆積層まで切っているようにみえる露頭は見出されたが、現地で検討した結果、差別侵食による階段状の原地形であり、不整合面であった。
(5)考 察
今回の地表踏査では直接森本断層本体であることを示す断層露頭は確認できなかったが、断層位置を推定するいくつかの手がかりを得ることができた。
調査地域に分布する第三紀および第四紀更新世中期以前の地層(高位砂礫層以前)の地質構造は、東部で緩傾斜、西の丘陵地縁辺部に向かうにしたがって急傾斜になる撓曲構造を示している。また、丘陵地縁辺部の地層の傾斜が最大72°で、大部分が30〜50°程度の急傾斜を示している。これらのことから、調査地域に分布する地層の撓曲構造を支配する断層は、調査地域東部の丘陵地と西部に広がる金沢平野との境界部付近ではなく、それより西側の沖積層が広がる平野部に伏在すると推定される。
一方、踏査で確認された小断層は、その変位および破砕の程度などが小規模な正断層で連続性に乏しいことや、ほぼ撓曲の軸に平行な方向に発達している傾向があることなどから、褶曲作用により生じた引っ張り力によって形成されたものと考えられる。