2−3−3 古文書の記載と現況地形の対比

地表面の異常については政隣記に「大樋町で田圃の水が5〜7尺ばかり東西に傾いた」との記録があり、これに基づいて現地検討を行った結果、記載事項に対比可能性な地形を発見した。

1)政隣記の記載

(1)原文

(前略)薬師村本興寺に参詣、帰路往還大樋町端より一町計之所に而地震に合ひ、倒れ候處暫起上り不得。田毎之水東西に五・七尺計程宛傾く内に、田水板の如く成て空に三・四尺計上り、並松五・六尺震れ候を見受候旨。(後略)

(2)原文の解釈

(前略)薬師村の本興寺に参詣して、帰り道の街道で大樋町より1町(110m)ばかりのところで地震にあい、倒れてしまってしばらくは起き上がれなかった。田圃の水が東西に5〜7尺ばかりずつ傾いたかと思うと、田の水が板のようになって空に3・4尺ほども飛び上がり、松並木は5・6尺も揺れるのを見たとのこと。(後略)

2)地震現象としての解釈

大樋町の北側110m位のところで通行人が地震にあい、田圃が撓曲(?)するのを見た。液状化により田からは水が吹き出し、松の木は大きく揺れた。

3)現在の状況

大樋町の北端より北側約300mの山すそ(旧北国街道より80m程度山側)に、河川による侵食とは考えにくい地形的な段差(撓曲崖状の地形)が認められる(図2−3−1−2)。この段差は最大1.5m程度で北北東−南南西方向に連続する傾向が見られる。

4)推定結果

政隣記の記載は(3)の地点もしくはこれに連続する地形を指している可能性がある。

その理由は、以下のようにまとめられる。

・北国街道から見渡せる範囲  ・大樋町の北側に位置

・現在も50〜150cm程度の段差が認められる。段差地形の幅は数mあり、周辺と比較して不調和な土地利用形態(周辺の田圃に対して空地もしくは畑地)

・河川による浸食とは考えにくい方向に段差が連続

図2−3−1−2 大樋町付近の地形図(1/2,500)