極浅層部反射法弾性波探査・ボーリング調査や遺跡発掘調査等の既往資料から、森本断層の一部を確認できる可能性の高い位置を選定し、断層の規模・形態の把握や活動履歴を検討する目的で実施した。
(2)掘削位置
極浅層部反射法弾性波探査で沖積層基底面に段差が推定され、ボーリング調査によっても同様の結果が得られたB−4・B−5間では、遺跡発掘調査によっても遺構中の溝に段差が確認されていることから、この地点を中心にトレンチを掘削することとした。(図1−2−4−4)。
(3)掘削規模
T−2トレンチは壁面状況を見ながら4段階にわたって掘削を行った。掘削規模は以下の通りである。
第1段階:長さ10m×幅5m×深さ3m
第2段階:長さ12m×幅7m×深さ5m(上盤側基盤の確認)
第3段階:長さ15m×幅7.5m×深さ6m(下盤側基盤の確認)
第4段階:長さ15m×幅9m×深さ6m(水平方向の変位の確認)
(4)T−2トレンチの掘削経緯
@第1段階
沖積層内の掘削で、遺跡発掘調査から弥生時代後期後半および古墳時代とされている遺構(水路)と、それより古い時代の地層が認められた(写真1−2−6−1、写真1−2−6−2、写真1−2−6−3)。弥生時代後期前半とされる層以下の地層は、平野側を上位とする撓曲状の構造を示しており、深部の断層活動に伴って変位を受けている可能性が高いと判断された。ただし、これらの構造については堆積構造や断層活動以外の原因による堆積後の変形(例えば圧密やロードキャスト)とする考えも完全には否定できないことから、さらに深部まで掘削を行って確認することとした。
A第2段階
トレンチ底部をさらに掘削したところ、撓曲構造が顕著になり、平野側を上盤とする逆断層が現れた。断層面は沖積層基盤の卯辰山層の走向・傾斜と同じような傾向を示した。
B第3段階
第2段階では上盤側の沖積層基底が現れたが、下盤側の沖積層基底を確認して変位量を明らかにするため、さらに掘削を行った。その結果、深さ5.5m付近で下盤側の卯辰山層に到達し、この段層による垂直変位量は0.9〜1.0mであることが確認された(写真1−2−6−4、写真1−2−6−5、写真1−2−6−6、写真1−2−6−7)。
C第4段階
第1〜3段階の掘削によって、垂直変位量が0.9〜1.0mで平野側隆起の逆断層の存在が明らかになり、それに起因する沖積層の撓曲構造も確認されたが、水平方向の変位については不明であったため、W面に対して直行方向に断層面を含む切り込みを掘削した。その結果、変位は連続的に観察されたものの、水平変位を示す明瞭な構造は見られず、大きな水平変位は伴っていないものと確認された。
(5)壁面の観察結果
壁面の構成層は、下位より基盤の卯辰山層、砂質土とシルト質土の互層からなる弥生時代後期前半以前の沖積層、遺構埋積層、旧埋土および古代以降の地層、耕作土、遺構発掘後の盛土からなる(付図9、付図10−1、付図10−2、付図10−3)。
泥岩からなる卯辰山層を切断する断層は、平野側を上盤とする逆断層であり、垂直変位量は0.9〜1.0mである。水平方向の変位は認められず、断層面の見かけの変位は約1.3mである。断層面はW面、E’面とも2面からなっており、厚さ2〜5mmの粘土を挟んでいる。W面では2面の間隙は10〜20cmとなっており、上盤側の断層面は、走向N38゜E,傾斜34〜36゜W,見かけの変位量25cm、下盤側はN38゜E,38〜40゜W,105cmを示し、卯辰山層の層理面より低角の断層面となっている。
沖積層内の変形は一部を除いて撓曲構造であり、断層面から離れるに従って撓曲の波長が長くなっている。断層面の垂直変位量が90〜100cm程度を示すのに対して、撓曲の垂直変位も80cm前後で大きな差は認められない。W面では弥生時代後期後半の遺跡発掘面以下の地層は変形している。E面では、少なくとも弥生時代後期後半の遺構以前の地層は変形を受けている。遺構内および遺構を覆う古代〜中世の地層は変形していないように見えるが、耕作等によって乱されている可能性も考えられる。
(6)年代測定結果
トレンチ壁面で観察された地層の絶対年代を求めるために、壁面に現れた木片・腐植土等を36試料収集し、そのうち活動年代を決定する上で重要と考えられる5試料について14C年代測定を行った。表1−2−6−1に年代測定用サンプルの諸元および年代測定結果を示す。
表1−2−6−1 年代測定結果
(7)珪藻分析結果
トレンチ壁面で観察された地層の堆積環境を推定するために、5サンプルの珪藻分析を行った。その結果、3サンプルからは珪藻化石が検出されなかったが、残りの2つからは珪藻化石が産出した。
D−3サンプルからは38種類の珪藻化石が産出し、このうち淡水性種が全体の82%を占め、海水性5.4%,汽水性5.0%,汽水〜淡水性7.9%が随伴する。際だった優占種がなく、生息環境の異なる種群や、塩水濃度に対する適応を異にする種群が混じることから、異地性混合群種からなるといえる。湖沼浮遊性種群・好止性種群の全体に占める割合が多いことから、河川河口上流部で塩水の流れ込みのある沼沢地的環境で形成された地層であると推定された。
(8)土質試験の結果
調査地域における液状化発生の予測を行うために度試験を、また、沖積層と卯辰山層の物理・強度特性の違いを明らかにするために物理・力学試験を行った。
@砂質土の粒度特性
沖積層内の砂質土を対象に行ったが、いずれも細粒土(粘土〜シルト)を多く(27〜48%)含有し、シルト質細砂(SM)に分類される。
試験結果によればいずれも均等な砂質土であるが、全般に細粒土の含有が多いため液状化を生じにくいと考えられる。
A沖積層(粘性土)と卯辰山層(泥岩)の物理的・力学的性質の違い
沖積層・粘性土は砂分をごくわずかに含有し、シルト分を主体とする粘性土であり、粒度組成では卯辰山層の泥岩と大きな違いはないと見られるが、固結度が著しく異なるため、特に強度の変化が大きい(表1−2−6−2)。
表1−2−6−2 土質試験結果
これらの変形特性の違いが、泥岩での断層(せん断)と粘性土における撓曲構造となって現れていることが考えられる。
(9)考 察
石川県埋蔵文化財保存協会の梅田B遺跡発掘報告書(未公表)によれば、弥生後期後半の遺構面および同年代の水路遺構(SD−112)が同年代の水路遺構(SD−109)を境として平野側が50cm程度高くなっていることから、地盤の変形時期を弥生時代後期後半〜末と推定している。
今回のトレンチ結果においては、発掘調査等により地表面付近の沖積層が失われ、もしくは乱されていたため正確な活動年代は把握できなかったが、ある程度変位が生じた年代の推定が可能であった。
沖積層の変形は最下部から最上部までほぼ一定であることから、トレンチで確認できる変形は1回の変位によってもたらされたものと考えられる。壁面で観察された最下位の沖積層が形成された年代は、14C年代測定によりB.C.3050年程度という結果が得られた。また、確実に変形していると確認できる最上位の地層の形成年代はB.C.50年程度である。これよりさらに上位の地層は発掘もしくは耕作により乱されているため、トレンチの壁面観察のみからではその後の活動履歴について詳細な検討を行うことは困難である。しかし、遺跡発掘調査の結果より、古墳時代前期(14C年代測定結果ではA.D.650年前後)に形成された水路遺構の底の標高が断層の上盤・下盤側とも同レベルで、地盤変形以降ある程度時間をおいて構築されたものであることが確実と考えられることから、これが形成されるより前に変位が生じたことは確実である。また、弥生時代後期後半(同A.D.85年前後)に形成された水路遺構は、断層活動によって生じたと考えられる低崖の下端に沿って掘削されていることから、変位が生じたあとに形成された可能性が高い。
これらのことから、今回の調査結果からは、断層変位は少なくともB.C.50年以降、A.D.650年以前に生じたことは確実で、推測を含めるとB.C.50年からA.D.85年の間、つまり現在より2,000年前程度の時期に生じた可能性が高いと考えられる。なお、T−2トレンチでは、B.C.3,050年以降に1回の活動しか認められなかった。