(1)政隣記の記載
@原文
(前略)薬師村本興寺に参詣、帰路往還大樋町端より一町計之所に而地震に合ひ、倒れ候處暫起上り不得。田毎之水東西に五・七尺計程宛傾く内に、田水板の如く成て空に三・四尺計上り、並松五・六尺震れ候を見受候旨。(後略)
A原文の解釈
(前略)薬師村の本興寺に参詣して、帰り道の街道で大樋町より1町(110m)ばかりのところで地震にあい、倒れてしまってしばらくは起き上がれなかった。田圃の水が東西に5〜7尺ばかりずつ傾いたかと思うと、田の水が板のようになって空に3・4尺ほども飛び上がり、松並木は5・6尺も揺れるのを見たとのこと。(後略)
(2)地震現象としての解釈
大樋町の北側110m位のところで通行人が地震にあい、田圃が撓曲(?)するのを見た。液状化により田からは水が吹き出し、松の木は大きく揺れた。
(3)現在の状況
大樋町の北端より北側約300mの山すそ(旧北国街道より80m程度山側)に、河川による侵食とは考えにくい地形的な段差(撓曲崖状の地形)が認められる(図1−2−2−2)。この段差は最大1.5m程度で北北東−南南西方向に連続する傾向が見られる。
(4)推定結果
政隣記の記載は(3)の地点もしくはこれに連続する地形を指している可能性がある。
その理由は、以下のようにまとめられる。
・北国街道から見渡せる範囲の地形である。
・大樋町の北側に位置している。
・現在も50〜150cm程度の段差が認められる。段差地形の幅は数mあり、周辺と比較して不調和な土地利用形態(周辺の田圃に対して空地もしくは畑地)となっている。
・河川による浸食とは考えにくい方向に段差が連続する。
図1−2−2−2 大樋町付近の地形図(1/2,500)