(2)言経卿記

本文書は,山科言経(1543〜1611)の日記であり,その記述期間は天正4年(1576)から慶長13年(1608)にいたる。作者は当時,京都に在住していたため,主として京都周辺の被害記録が多く見られるが,その7月13日付けの日記文によると,兵庫に関する記述が以下のように記載されている。

「去夜子刻大地震,近代是程事無之,古老之仁語也」

「兵庫在所崩了,折節火事出来候,悉焼了,死人不知数了」

これらより,慶長伏見地震による地震被害は京都に限らず,神戸地域においても大きかったことが推定される。しかし,これらの記録によって,須磨断層の活動を示す直接的な根拠とするには乏しい。いずれにしても,この地震時において強い震動が神戸地域を襲ったことは事実といえる。